仏旗 大宝山 明光寺(みょうこうじ) [明光禅寺・曹洞宗九州管区教化センター] 曹洞宗  MYOUKOUJI ZEN TEMPLE 坐禅 六地蔵塔 野村望東尼の墓碑栄姫遺髪塚生雄宗誕 伊藤氏参拝済

  • 山門
    山門 
  • 本堂
    本堂 
住所・電話
〒812-0041 福岡県福岡市博多区吉塚3丁目8-52  MAP 092-621-2698
イベント情報(今日から2ヶ月間)
日時内容備考
2017-08-28
(14:30〜16:00)
第331回やさしい禅に親しむ会「無常の世の中に生きる」。場所:博多グリーンホテル2号館会議室。参加費無料。
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歴史

伊藤氏メモ元は善導寺(現:博多区中呉服町)の東隣にあったが、明治43年1910に市内電車が開通するとき(現在その敷設道部分は明治通り)、現在地に移転した。同じく、明光寺の道北にあった法性寺も現在の博多区千代2丁目に移転した。()

伊藤氏メモ野村望東尼(のむらもとに)1806-1867は、40歳のとき家督を子に継がせ、夫婦ともに平尾向岡(むかいのおか)にあった庵(平尾山荘:福岡市中央区平尾)に隠棲した。 花鳥風月を友に、歌人として自適の生活をしようというわけであった。 54歳のとき、夫を亡くし、嫁ぎ先である野村家の菩提寺である博多明光寺で得度剃髪、招月望東禅尼となり、寺で起居して修行をした。 それから2年ほどして念願であった上洛の途につき、これがその後の勤王歌人望東尼の出現へとつながったのである。

野村望東尼については、野村望東尼西日本シティ銀行/ふるさと歴史シリーズ「博多に強くなろう」/No.19 維新の母と呼ばれた女流勤皇歌人 野村望東尼をご覧ください。()

参考:『筑前國続風土記拾遺』

ひとくちメモ

明光寺の敷地はかなりの広さである。 境内には、本堂をはじめ選佛場(坐禅堂)・毘沙門堂・豊川稲荷舎・大師堂などが見られる。 また、本堂に向って左手の納骨堂を囲むように三十三観音像・六地蔵・六地蔵塔などが見られる。 見どころ盛りだくさんの境内である。

本堂左手の納骨堂の脇をさらに左に進めば広大な墓地となっており、墓地入口付近には勤王歌人、野村望東尼の墓碑、 一番奥の塀際には榮姫(黒田長政正室)遺髪供養塔がある。

そのすぐ南側には東光院跡がある。

写真

  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 選佛場
    選佛場 
  • 選佛場の扁額
    選佛場の扁額 
  • 中門
    中門 
  • 中門の扁額
    中門の扁額 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 三十三観音(納骨堂の側面)
    三十三観音(納骨堂の側面) 
  • 三十三観音(納骨堂の側面)
    三十三観音(納骨堂の側面) 
  • 六地蔵(納骨堂の側面)
    六地蔵(納骨堂の側面) 
  • 六地蔵塔(傘部が消滅している)
    六地蔵塔(傘部が消滅している) 
  • 六地蔵塔全景
    六地蔵塔全景 
  • 毘沙門堂
    毘沙門堂 
  • 豊川稲荷
    豊川稲荷 
  • 大師堂
    大師堂 
  • 大師堂脇の地蔵尊
    大師堂脇の地蔵尊 
  • 「石城第廿二番 大寶山明光寺」の石碑
    「石城第廿二番 大寶山明光寺」の石碑 
  • イチョウの大木
    イチョウの大木 
  • 桜の大木
    桜の大木 
  • 塀沿いに植えられている多数のアジサイ
    塀沿いに植えられている多数のアジサイ 
  • 梵鐘
    梵鐘 

野村望東尼の墓碑

  • 野村望東尼の墓碑
    野村望東尼の墓碑 
  • 野村望東尼の墓碑(全景)
    野村望東尼の墓碑(全景) 

榮姫遺髪供養塔

  • 榮姫遺髪供養塔
    榮姫遺髪供養塔 
  • 榮姫遺髪供養塔(全景)
    榮姫遺髪供養塔(全景) 


筑前國続風土記拾遺』巻之8 博多寺院(上)の項

大寶山と号す。 禪宗洞家豊後國泉福寺に属せり。 開山無雑融純(むぞうゆうじゅん)ハ越後國の人なり。 泉福寺開山無着[1]の法弟にて永徳年中1381-1383此寺を創建すと云。 本編にはハ開基時代不詳と有

其後乱世を經て寺宇頗破に及ひ、 剰13世の通三慶達と云僧、 當寺を出て肥前國唐津に去りぬ。(わずか)に小庵のミ残れしを、 14世生雄宗誕(しょうゆうしゅうたん)和尚當寺再興を発し、 寛永5年1628忠之公及照福院[2]大涼院[3]君の御助成によりて佛殿を再興せり。 故ニ宗誕を以當寺中興開山とし一派の觸當頭たり。

佛殿の脇檀に保科弾正政忠正直大涼院君先考建福院殿前霜臺天関大居士慶長7年9月晦卒 同夫人長源院殿清信授法大姉元和4年7月7日 同肥後守正之大涼院君弟霜臺院殿前肥州大守信隆道儀大居士等の位牌を置けり。 寺後に建福院殿 長源院殿 大涼院君の假墓一檀築けり。

慶安元年164810月12日忠之公寺産50石を寄附し給ふ。 御判物を蔵めり。此の寺の事本編に詳也。又福岡長圓寺の條下に宗誕か事記す。合せて見るへし。

住持鉄相か時、本堂 庫裡 総門 唐門 衆寮等を造替す。 公よりも白銀若干を賜ふ。

此寺の表門初蓮池町に有りしを、正徳1711-1715頃公に願ひて東町に改め開き、 昔の門を以て裏門とせり。

寺内に禅堂 鐘楼 鎮守社 毘沙門堂有。 什物に金襴の大衣袈裟大涼院君寄附 綱政公御筆画一幅 建福院殿の肖像一幅立花重根筆有。

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