仏旗 袖湊山(しゅうそうざん) 妙行寺(みょうぎょうじ) 浄土真宗東本願寺派  MYOUGYOUJI TEMPLE 野間大池 伊藤氏参拝済

  • 本堂
    本堂 
  • 超遠景 - 野間大池の対岸より撮影
    超遠景 - 野間大池の対岸より撮影 
住所・電話
〒815-0041 福岡県福岡市南区野間4-33-38 標高:19m MAP GMAP 092-541-1187 
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歴史

筑前國続風土記』巻之二によれば「妙行寺は川口町にあり、何時のときの開基になすや洋々とした昔は天台宗にて 蘆原道場(あしはらどうじょう)といいしとそ、真宗東派にて云々」とある。

旧川口町は現在の上川端町(かみかわばたまち)のエリア内にあったという。 今の冷泉公園内北隅に旧川口町を示す小石碑がある。

いつの日に蘆原道場ができたのかは分からない。その蘆原道場が妙行寺の原型であったのであろう。 その後現在の東本願寺派に改宗している。 昭和20年6月19日の福岡大空襲で焼失し、寺伝などの全ての書物もいっしょに焼失したとの事である。 その後、現在の地に移転し現在に至っている。

なお、「袖湊山」という同じ山号を持つ順正寺が博多区祇園町に ある。順正寺と妙行寺との関係は順正寺のページに記載している。

参考:『筑前國続風土記拾遺

ひとくちメモ

寺は野間大池の東側の小高い丘の上にある。 本堂は近年改築されたものと思われ真新しい。 駐車場に多数の桜の大木がある。

伊藤氏メモ現在の冷泉公園のおよそ北半分は、旧町名でいう川口町の一部であり、かって妙行寺はその場所にあった。 この妙行寺も1945年の福岡大空襲で焼失。 その後、戦災復興事業で、冷泉公園が新設されることに伴い、1955年頃、現在の南区野間4丁目に移転した。 ()

写真

  • 山門(桜の大木多数あり) - 駐車場より撮影
    山門(桜の大木多数あり) - 駐車場より撮影 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 庫裏
    庫裏 
  • 「教如上人御遺跡」碑
    「教如上人御遺跡」碑 
  • 参道口
    参道口 
  • 野間大池
    野間大池 
  • 梵鐘
    梵鐘 


『筑前國続風土記拾遺』巻之9 博多寺院(下)

土井川口町妙行寺

袖湊山と号す。 真宗東本願寺に属せり。 國中一派の觸頭なり。 寺傳に始めは天台宗にて蘆原道場といへり。 當昔冷泉津蘆原なる辺に在し故此名有といふ。

明應1492-1501の比道場に住せし僧大阪に登り、 本願寺蓮如上人の門徒となり改宗して蘆原山妙行寺と号す。 其後故有りて山号を改む。

享禄1528-1531中當寺本山の兼帯所として輪番の僧来り九國の末寺を支配せり。 天正年1573-1593中兵燹に罹り寺宇焼亡せしかは、 糟屋郡三苫村の願念と云僧本尊を迎へて暫く己か家におき、 さて舊地に假屋の道場を構へ本尊を安置し仲言と云僧肥後國菊池の一族と相共に議りて、 門跡より當寺再興の事を檀越へ催促の書を授かり、 衆人の助成を得て漸本堂を再建す。

比此兵乱の世にて輪番の僧も来らさりしかは、 原田氏の臣笠大炊與長か末子彦兵衛と云者を以て後住とし名を従善と改む。 依て仲言を當寺の中興とし従善を第2世とす。 其比(そのころ)門跡は将軍信長公と不和にて大坂にて籠城ありしか従善馳登り城中に入勲功あり。 門跡より感書を與へらる。 3世を教善従善か子と云。

文禄元年1592太閤肥前國名護屋御在陣の時、教如上人訊問として彼地に趣れし時博多に来り當寺に一宿あり。 此度従持教善も教如に従ひて名護屋に至る。 此時門跡より授りし印書并其家宰より出せる書翰今に傳はれり。 慶長5年興雲公入國し給ふ時門跡より使者来り贈物あり。 當寺に寄宿して事を行ふ。此時如水公の回答写とて2通あり。

慶長7年1602真宗東西の両派に別れしか當寺の住持松安たまたま在京して居たりしか東門跡の下に属す。 此時末寺と豫め期せさりし故、末寺は皆西派の直参となれりといふ。

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