仏旗 秋月山昌林院 妙円寺(みょうえんじ) [妙圓寺] 浄土宗  MYOUENJI TEMPLE 筑前国中三十三観音霊場第3番札所 妙圓尼の墓所行明 行基 住吉神社 伊藤氏参拝済

山門の扁額
山門の扁額 
妙円尼の墓所
妙円尼の墓所 
住吉 妙円寺(巻之3那珂郡)(現在と同様の伽藍の配置である)
住吉 妙円寺(巻之3那珂郡)(現在と同様の伽藍の配置である)
『筑前名所図会』
住所・電話
〒812-0018 福岡県福岡市博多区住吉2丁目17-17 標高:6.6m MAP GMAP 092-291-5442 
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歴史

寺号の元となった「妙円」は福岡藩祖、黒田如水の妹(以降「妙円」と呼ぶ)1556-1618の法名に因むもの。 妙円は夫の戦死後、豊後円応寺にて出家して法名を「昌林院秋月妙園」とする。 妙円は甥の長政が豊前中津より筑前国に転封となったことに伴い、如水と共に福岡博多にやってきた。 現在の妙円寺のあたりに草庵をむすぶ。そこで浄土宗の教えを深く学び実践していた。 慶長17年1612、筑後善導寺を退院した第21世伝誉上人をその草庵へ招聘することを願い出て叶う。草庵のそばに堂宇を建立。伝誉をその寺の院主とした。秋月山昌林院と号した。

元和4年1618、妙円が亡くなる。寛永19年1643伝誉が亡くなり、伝誉の徒弟が跡を継いだが程なくして退院。無住となった。

2代光行は、名のある寺を無住のまま放置するわけにも行かず、大乗寺の浄土宗を昌林院に移す命を下し、昌林院を妙円寺と改称。 大乗寺本尊、仏具、什物等他皆引き移される。末寺末庵も同様。ここに妙円寺が正式に誕生した事となる。

上の事実関係から、ある意味、妙円寺の前身は大乗寺といっても良い。 大乗寺は元は法相宗の古刹であったが、一時荒廃、天文2年1533行明が浄土宗寺院として再興し、筑前国を中心に多数の浄土宗の寺院の開基にかかわった名僧である。 よって、当寺の開基は行明であるといわれるようになった。(以上、『黒田官兵衛(如水)の妹 妙圓大姉―備前と筑前の浦上氏と小河氏 福岡城・名島城・伊野皇大神宮』より。当ページの末尾に略年表を付した。)

『筑前國続風土記』巻之5 那珂郡上によれば、 妙円の人柄は「此人慈悲深くして人をいつくしみ、かりにも人をくるしめず」(原文のまま)であったと言う。

伊藤氏メモ福岡寺院探訪 』に次のような記載がある。

寺内墓地に如水の妹(尾上安右衛門室)妙圓の墓あり。 墓石には「昌林院殿法誉秋月妙圓大姉」と刻まれ、「元和4年1618没す」とある。また傍には安右衛門の長女おたね、二女おいちなどの墓あり。 その他、境内には、約1200年前、行基が筑前留錫教化中に建立したという観音堂あり。藩主長政のとき、当寺に移奉合祀されたものである。

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伊藤氏メモ

寺伝によると、妙圓尼は弘治2年1556の生まれ。黒田家の家臣尾上安右衛門に嫁していたが、戦で夫を失い、現代風にいう戦争未亡人となり、住吉の地に小庵を結んで信仰生活に入ったという。甥の初代藩主黒田長政公はこの叔母のために、寺産として50石を寄進して、色々と気を使っている。

妙圓尼は生来、温和で心優しいが、しっかりした女性だったらしい。福岡の城に行くにも「乗り物は僕夫のなやみ、と歩行し給う。信心篤く殊勝なる尼公なりしとかや」、つまり輿や駕籠を使えば担ぐ人が大変だろうからと自分で歩いて行った、というエピソードが『筑前國続風土記』に残されている。

(『筑前の寺めぐり 』より)()

ひとくちメモ

寺の裏手は那珂川が流れている。本堂前の一対の狛犬(大理石製と思われる)は風格を感じさせるものである。 境内には、観音堂・地蔵堂・妙円尼の墓碑・イチョウの巨木(♀)がある。 このイチョウの木は遠くからも良く見える。

写真

  • 山門
    山門 
  • 本堂
    本堂 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 妙円尼の墓所の案内板−本堂の右脇奥にある
    妙円尼の墓所の案内板−本堂の右脇奥にある 
  • 狛犬
    狛犬 
  • 観音堂
    観音堂 
  • 観音堂の扁額
    観音堂の扁額 
  • 地蔵堂
    地蔵堂 
  • 地蔵菩薩像(地蔵堂内)
    地蔵菩薩像(地蔵堂内) 
  • イチョウの巨木
    イチョウの巨木 
  • 地蔵菩薩像
    地蔵菩薩像 
  • 遠景 - 住吉神社鳥居より撮影
    遠景 - 住吉神社鳥居より撮影 


妙円寺開基の歴史年表

作者の備忘の為、下記年表を作成。 これの元資料は『黒田官兵衛(如水)の妹 妙圓大姉―備前と筑前の浦上氏と小河氏 福岡城・名島城・伊野皇大神宮』に記載された当寺住職賢誉上人が元禄6年1690に記した寺伝である。

和暦西暦できごと
弘治21556黒田職隆の娘で、黒田孝高(官兵衛・如水)の妹として播磨国姫路にて生まれる。俗名:お虎。
不詳尾上安右衛門武則の室となる。
天正151587尾上安右衛門武則戦死。行年32才。
妙円は中津円応寺にて授戒。法名を「昌林院秋月妙園」とする。
不詳豊前中津より宮島光明院を経由して京都に上る。
光明院では以八上人より「日課称名六万辺」を受持。
京都では悟真寺の袋中和尚に「種々の法問、疑いを安心極め玉ふ」
その後、中津に呼び戻される。
※以八上人と袋中和尚とは兄弟の関係。
慶長51600長政の筑前転封に伴い、先達として、如水に伴い筑前に向かう。途中、宗像西福寺に立ち寄りしばらく逗留。
不詳はじめ材木町(現在の少林寺の地)に住む。その後、住吉に移り草庵を結ぶ。(少林寺の創建が慶長9年1604であることからこの年前後のことと思われる。)
慶長171612長政に伝誉上人を草庵に迎えることを願い出て許可され、草庵の傍らに別院を建て院主とする。秋月山昌林院と号した。
(伝誉上人は久留米善導寺21世。これより以前、上人が善導寺を退院後、京都に旅をしている時に知り合い、筑前に招聘する事を約束していた。)
元和41618妙円寂。享年63才。
寛永191642伝誉上人寂。享年86才。
徒弟、運誉祖郭西堂が相続。「故有て日あらず退院す。」これにより住職不在となる。
寛永201643寺社奉行より大乗寺6世大誉に対して、大乗寺の浄土宗を昌林院に移す命が下る。昌林院を妙円寺と改称。「大乗寺本尊、仏具、什物等皆引き移し当山の具となさしむ。(中略)大乗寺の末寺、此時悉く妙円寺に移す」

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