宮崎安貞書斎
史跡
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歴史
書斎脇の案内板の内容を下に記す。Links① で、安貞の生涯がわかりやすく解説されている。
(県指定史跡)宮崎安貞書斎
宮崎安貞は、元和9年(1623)芸州広島で生まれ、25歳の時、福岡藩主黒田忠之につかえました。 まもなくその職をやめ、九州・山口・近畿の諸国をめぐり、草木や作物の植え付けなど農事の研究を積み重ねました。帰国すると、現在の西区女原に住み、一人の農民として郷土の農業改善、生活の向上に尽くしました。現在も「宮崎開き」の地名が残るほど、積極的に開墾も行いました。
また、中国の農業書や諸国での体験をもとに、元禄9年(1696)「農業全書」(全10巻)を著しました。 水戸光圀も絶賛したこの書は、わが国初の農書として名高く、多くの人に読みつがれてきました。
女原に住むこと40年、元禄10年(1697)に75歳で亡くなりました。墓(史跡)は現在地より、南側300mのところにあります。
この書斎は、一部手を加えられていますが、安貞の書斎として当時をしのぶことができます。 右側にある顕彰碑は、明治21年3月宮崎安貞顕彰会の人々の尽力により移築されたものです。
平成13年3月 西区役所
ひとくちメモ
小さな建物である。この場所で寝起きもしていたのだろう。 裏手は大きな池となっている。 墓所の写真を下部に掲示する。
写真
墓所
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墓碑は杉林の中。そのせいか墓碑の保存状態は良好。 墓碑の前は苔むしており、きれいに清掃されている。
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