heritage 補陀山(ほださん) 興宗寺(こうしゅうじ) [興宗禅寺] 曹洞宗 ★☆☆ 行基 坐禅 穴観音 義士祭 卍山道白 インド菩提樹 伊藤氏参拝済 四十七義士の墓 福博八十八ヶ所奥の院 福岡市新四国霊場第77番

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〒815-0074 福岡県福岡市南区寺塚2丁目22-11   標高:29.9m 地図 GMAP 092-541-2348 
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歴史

『筑前國続風土記』巻之6 那珂郡下によれば下記のようである。

高宮岩屋(興宗寺 曹洞宗)

元々穴観音があり、福岡藩の第2代藩主黒田忠之がこの観音に祈ったことがあり、その時拝屋を建てた。 その後この拝屋が壊れた為、元禄6年(1693)長円寺の住職湛堂(たんどう)和尚が穴観音を修理し、拝屋を再建し、その下に石段を築いた。その石段の下に寺を建て補蛇山興宗寺とした。

興宗寺はもともと遠賀郡熊手村(現在のJR黒崎駅近く)にあり、遠賀郡の 龍昌寺に属していたが、廃絶していたため、湛堂和尚が龍昌寺より寺号を譲り受けここに再興した。

瑞鳳山 東林寺のパンフレット『南方録と茶の心』には「東林寺と興宗寺は卍山道白(まんざんどうはく)が開いた」との記述がある。

伊藤氏メモ『福岡寺院探訪』によると、当寺には黒田家との縁故を明らかにする寺宝が多くあり、木造の地蔵菩薩(行基作)もその一つであるという。()

ひとくちメモ

本堂前は石庭風の造り。インド菩提樹・ツバキ・ヤマモモ他の木々がみられる。 本堂に向かって右手前の三十三観音は普段作者が見る石仏よりも立体感がある。 穴観音堂は本堂に向かって右手の石段を登った所にある。 四十七義士の墓はその石段脇にある。 毎年12月14日には盛大に義士祭が催される。

イベント情報(今日から1年間)

○主催者などに事前に確認の上、参加下さい○

日時内容備考状態
2023-12-14(木)
(10:30〜15:00)
福岡義士祭四十七士の墓前で献茶、法要、筑前琵琶の演奏が行われ、武技「陽流抱え大筒」が披露される。確定

写真

  • 本堂
    本堂 
  • 庫裏
    庫裏 
  • 中門 - 本堂を背にして撮影
    中門 - 本堂を背にして撮影 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 庫裏
    庫裏 
  • 山門の扁額
    山門の扁額 
  • 遠景 - 駐車場より撮影
    遠景 - 駐車場より撮影 
  • 石仏群
    石仏群 
  • 宝篋印塔
    宝篋印塔 
  • 三十三観音
    三十三観音 
  • 三十三観音(一部拡大。かなり立体的である)
    三十三観音(一部拡大。かなり立体的である) 
  • 本堂に向かって右手の石仏群
    本堂に向かって右手の石仏群 
  • インド菩提樹
    インド菩提樹 
  • ヤマモモ
    ヤマモモ 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 中門の扁額
    中門の扁額 
  • 中門
    中門 
  • 本堂前の風景(砂が掃き清められている)
    本堂前の風景(砂が掃き清められている) 
  • 山門 - 中門を背にして撮影
    山門 - 中門を背にして撮影 
  • 藤棚
    藤棚 
  • 門前の風景
    門前の風景 
  • 遠景
    遠景 

穴観音堂

穴観音内部のレリーフ
穴観音内部のレリーフ 
穴観音堂内部
穴観音堂内部 
穴観音堂入口
穴観音堂入口 
穴観音堂裏手の八幡宮
穴観音堂裏手の八幡宮 
穴観音堂の拝殿(左手が穴観音堂)
穴観音堂の拝殿(左手が穴観音堂) 
穴観音堂拝殿に掛けられた絵馬
穴観音堂拝殿に掛けられた絵馬 
穴観音堂拝殿に掛けられた絵馬
穴観音堂拝殿に掛けられた絵馬 
穴観音堂前の石段
穴観音堂前の石段 
宝篋印塔 - 穴観音堂への石段途中
宝篋印塔 - 穴観音堂への石段途中 
穴観音堂への石段
穴観音堂への石段 
穴観音から境内を見おろす
穴観音から境内を見おろす 

観音堂は大岩で囲まれた石窟である。 観音堂の前には拝殿があり、ちょっとした休憩所のような趣。 絵馬が2枚掛けられている。 境内の案内板の内容を下に記す。

このあたりは百塚(ひゃくづか)といって古墳群のあった所であるが、福岡城が築かれた際に、その古墳の石が多く利用され、ここの古墳だけが供養のため残されたという。 石室内には、阿弥陀(あみだ)(阿弥陀如来)、観音、勢至(せいし)(勢姿菩薩)などが彫刻してあり、世に穴観音(あなかんのん)として知られている。また、境内には赤穂四十七士の墓がある。

穴観音は福博八十八ヶ所の奥の院となっている。[1]


義士祭

本堂前の賑わい
本堂前の賑わい 
本堂前の賑わい
本堂前の賑わい 
行事予定
行事予定 
「抱え大筒」を撮影しようと待ち構えるカメラマン達
「抱え大筒」を撮影しようと待ち構えるカメラマン達 
ソバ・おかゆの振る舞い風景
ソバ・おかゆの振る舞い風景 
ソバ・おかゆの振る舞い風景
ソバ・おかゆの振る舞い風景 
ソバ・おかゆの振る舞い風景
ソバ・おかゆの振る舞い風景 
ソバ・おかゆの振る舞い風景
ソバ・おかゆの振る舞い風景 
四十七義士の墓の案内板
四十七義士の墓の案内板 
四十七義士の墓境内
四十七義士の墓境内 
赤穂四十七士の墓碑配置図(義士祭で配布されていたパンフレットより引用)
赤穂四十七士の墓碑配置図(義士祭で配布されていたパンフレットより引用) 

昭和10年(1935)篤志家の木原善太郎氏が私財を投じ、当寺境内に赤穂四十七義士の墳墓を建立。 「青少年の健全育成と日本精神作興」の為という。 配列から地形、玉垣まで東京高輪泉岳寺のものと同形式のものである。 福岡市義士会はこれを期に結成される。 遠山満が名誉会長となった。 以降。毎年12月14日に祭典が挙行されている。 (義士祭で配布されたパンフレットより)

、初参加。 大変な賑わいであった。 メインエベントと思われる「抱え大筒」は時間の関係で見れなかった。残念。 檀家さんの奥様方の振る舞う、ソバ・おかゆも美味でした。


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脚注