bukki 萬歳山 光明寺(こうみょうじ) [小田観音] 仏教礼拝所 ★☆☆ 清賀 千手観音像 十一面観音像 伊藤氏参拝済 不空羂索観音像 福岡三観音第3番 糸島東部八十八ヶ所霊場第65番 筑前国中三十三観音霊場第13番札所

住所・電話
〒 福岡県福岡市西区大字小田2973   標高:84m MAP GMAP
検索
同地区同宗派(64)  4km以内  関連寺院(3)  周辺のスポット(7)

歴史

境内の案内板の内容をそのまま引用する。

光明寺(小田観音堂(こたかんのんどう))

この寺は、神亀(じんき)5年(728)に、聖武天皇の勅願寺として、 法隠禅師(ほういんぜんじ)が開山となり建立されました。 当時は、七堂伽藍が立ち並び、祈祷殿や鐘撞堂、ふもとには大門もありました。

ご本尊の千手観音(小田観音)は、清賀上人(生没年不詳)の作で、 「福岡三観音(他は、千如寺大悲王院(せんにょじだいひおういん) の雷山観音、 正覚寺の油山観音)」の一つと伝えられています。 脇立(わきだち)は十一面観音と不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)です。

また、ここは、和銅(わどう)6年(713)に始まった日本最古の観音霊場と云われる「九州西国霊場」[1]の第13番札所にもなっています。

小田支石墓(こたしせきぼ)は、昭和10年(1935)に、光明寺の東に位置する小田砂丘遺跡において発見されましたが、 現在では大石の一部のみが残されるのみとなっています。

[平成14年 西区役所]

参道口に庚申塔と並んで約2m四方の水が染み出ている井戸がある。 これは『拾遺』に記された空也上人が衣を洗ったという「染井戸」ではなかろうか?

札所一覧に「第65番 本尊:千手観世音菩薩 小田」とある。 建物には霊場額は無いが、糸島東部八十八ヶ所霊場第65番(本尊:千手観世音菩薩)で間違い無いと思われる。

御朱印は麓の福寿寺にて頂ける。

参考:『筑前國続風土記拾遺

ひとくちメモ

光明寺は山の中腹に伽藍を構えている。麓から300mほどはなだらかな坂であるが、そこからは かなり急な坂道を登って行かないといけない。 最後は100段超の急傾斜の石段がある。この石段は作者が今まで見たなかで一番の急勾配である。

お寺の関係者は常勤していないようであるが、本堂内に上がらせて頂きお参りもできた。

「筑前国中三十三観音霊場」の第13番札所となっているが、近くの福寿寺が納経書になっている。

福岡県嘉麻市にある益富山 円通寺はここの観音様を分祀して祀られているという。

伊藤氏メモ本堂へ上がる石段は急で少々ハードでした。 数えると、4段+57段+49段の計110段。とはいえ、段数よりも、その急峻さが太股に応えました。 なお、本寺は現在無住ですが、近在の方によると、その管理等は近くにある福寿寺さんがされているとのことでした。

また、地図上は、本寺に並んで大日寺の記載も見られますが、 同一敷地内すぐ傍にある小さなお堂に大日寺の表示がされているものでした。()

境内には龍尾石・龍頭石がある。観音堂大師堂内の絵馬の画像をページの末尾に掲示るる。

写真

  • 脇立 - 十一面観音像
    脇立 - 十一面観音像 
  • 本堂の祭壇-千手観音像たちが安置されている
    本堂の祭壇-千手観音像たちが安置されている 
  • 霊場碑(「御國十三番」)参道の石段脇の石碑
    霊場碑(「御國十三番」)参道の石段脇の石碑 
  • 本堂内の扁額
    本堂内の扁額 
  • 観音堂の扁額(「万歳」の文字が読み取れる)
    観音堂の扁額(「万歳」の文字が読み取れる) 
  • 吉元大明神の鳥居
    吉元大明神の鳥居 
  • 大師堂
    大師堂 
  • 「大日寺」の扁額のあるお堂
    「大日寺」の扁額のあるお堂 
  • 熊野神社の鳥居
    熊野神社の鳥居 
  • 境内風景(石碑には「明治十三年(略) 奉拝寄石檀百十六級」) - この先に本堂がある(石段を登りきった所)
    境内風景(石碑には「明治十三年(略) 奉拝寄石檀百十六級」) - この先に本堂がある(石段を登りきった所) 
  • 千手観音・聖観音
    千手観音・聖観音 
  • 石塔郡
    石塔郡 
  • 境内風景 - 人が居る所の先が本堂
    境内風景 - 人が居る所の先が本堂 
  • 参道口の庚申塔
    参道口の庚申塔 
  • 参道途中
    参道途中 

龍頭石・龍尾石

龍尾石 - 石段の登り口
龍尾石 - 石段の登り口 
龍頭石 - 大日寺前
龍頭石 - 大日寺前 

龍尾石は石段の登り口に、龍頭石は石段を登った観音堂のある平坦面の「大日寺」の扁額の建物の前にある。 いずれも、よく見ていないた見逃しそうな大きさである。

この石の由緒などはわからないが、龍が境内をぐるっと囲っていることをイメージしたものではないかという。 頭・尾の間の距離は直線距離で50m程度か? 頭・尾の大きさから想像すると、かなり細長い龍だったと思われる。 当石の所在は金千寺より教えて頂いた。


観音堂内の画像

  • 脇立 - 十一面観音像
    脇立 - 十一面観音像 
  • 本尊 - 千手観音像
    本尊 - 千手観音像 
  • 脇立 - 不空羂索観音
    脇立 - 不空羂索観音 
  • 天井の絵馬
    天井の絵馬 
  • 天井の絵馬
    天井の絵馬 
  • 天井の絵馬・扁額
    天井の絵馬・扁額 

大師堂内の絵馬の画像

  • 絵馬
    絵馬 
  • 絵馬
    絵馬 
  • 絵馬
    絵馬 
  • 絵馬
    絵馬 
  • 絵馬(「文久三年癸亥(1863)」銘)
    絵馬(「文久三年癸亥(1863)」銘) 
  • 絵馬(「明治廿四年(1872)」銘)
    絵馬(「明治廿四年(1872)」銘) 

筑前國続風土記拾遺』巻之下48 志摩郡 中 小田村の項

参道口の井戸(右手)。「染井戸」?
参道口の井戸(右手)。「染井戸」? 

光明寺址

小賦蔵にあり。 昔は此山邉に清賀上人建立の大伽藍ありて萬歳山光明寺と號す七堂備ハりて巨刹なりしか 一時戦火に罹りて廃絶せしといふ。

今観音堂あり。 國中13番の札所なり。 本尊ハ千手観音像(長7尺5寸詫摩作)にて脇立は十一面観音像(長6尺5寸)()[2]の像(長4尺5寸)なり。 多門持國ニ天の像(各長4尺)も有。 又朽木の古佛像5躯有。

境内に大日堂、稲荷の小祠有。■七堂の址とて登りゆく坂道の左右に在。 各石佛を建て表とせり。

又子院6坊(古薗坊 花薗坊 赤江坊 水上坊 杉谷坊 明光坊)有りしか今は其名のミ残れり。 又山下(小賦蔵入口)に大門と云所有。 是當寺昔寺門を置し跡なりといふ。

染井戸

瓦薗と云所にあり。昔空也上人光明寺に詣り掛錫し此井の水にて法衣を洗ひけるか(たちまち)()[3]に染ミぬ。 故に此名ありとなん。

関連寺院(※過去に関連していた寺院も含みます。必ずしも現在関連している寺院とは限りません。)

周辺のスポット(4km以内)

周辺の寺院・仏教施設は当ページの上部の検索の項の「4km以内」のボタンをご利用下さい。

脚注