松林山
顯乗寺
[顕乗寺]
浄土真宗本願寺派
☆☆☆
飢人地蔵尊
享保の大飢饉
伊藤氏参拝済
青柳種信の墓所
- 住所・電話
- 〒814-0005 福岡県福岡市早良区祖原26-4 標高:10.2m 地図 GMAP 092-821-5272
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歴史
『藤崎・高取・西新歴史散策図』(街道の城下町文化振興実行委員会)によれば、 延宝元年(1673)に祖原山南西に建立され。昭和5年(1930)に現在の地に移転されたという。
境内には飢人地蔵尊、 本堂裏手の墓地には『筑前國續風土記拾遺』の編者の青柳種信の墓所がある。
参考:『筑前國続風土記拾遺』
ひとくちメモ
顯乗寺は西新商店街からほど近い早良区祖原に伽藍を構えている。寺の周囲は住宅街となっている。 境内には桜の木があり、さかりには美しい。
伊藤氏メモ青柳種信のお墓もお参りしました。種信の墓がこのお寺にある旨の情報収集力に感服です。()
写真
飢人地蔵尊
飢人地蔵尊は本堂に向かって右手前に安置されている。
境内には地蔵堂がありその脇の案内板の内容をそのまま記す。
麁原村地蔵堂の由来(享保の飢饉)
享保17年(1732)九州の大飢饉にして、5月は雨激しく、6月は日干、下旬には田に虫 が入り、7月中に志摩・早良郡・那珂郡の村々より老若男女菲人して博多・福岡に 出ると記す。
福岡藩も、米・稗・栗などの穀物を手配するも及ばず、餓死者多数なり。
当村風病、飢餓共83人なり。
姪浜1700人、博多16000人。死人是有りと記せり。
麁原村地蔵堂は、この時の83人の餓死者を埋めし地なりと、古人申し伝えり。
この地蔵堂は、浄土真宗顕乗寺境内に安置している。
青柳種信の墓所
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。顯乗寺に青柳種信(明和3年(1766)2月20日~天保6年(1836)12月17日)の墓所があることを知り、再度お参りした。 運良く、住職の奥様と思しき方がおられ、墓所まで案内していただいた。
本堂裏手の広大な墓地の一番左奥の桜の木の根元にひっそりと墓所はあった。 墓石は傾いており、夏草も繁茂していた。
墓石の表には「柳園翁之墓」。裏面には命日の「十二月十七日」「青柳勝次郎種信」の文字が読み取れる。
『筑前國続風土記拾遺』巻之43 麁原村(付皿山)
真宗西本願寺末也。 本村栗林に在。 法圓と云僧開基せり。 むかしハ東派なりしか、享保12年(1727)に性含と云僧西派となれり。
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