heritage 大師観音(だいしかんのん) 仏教礼拝所 ☆☆☆ 清賀 熊野神社 伊藤氏参拝済

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〒819-0166 福岡県福岡市西区横浜2丁目39   標高:30.6m 地図 GMAP
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歴史

『筑前國続風土記附録』巻之41 怡土郡上 夷魔山の項に下記の記事がみられる。 (挿絵付き。下写真参照)

(前略)山下に観音堂あり。 佛像ハ清賀の作と云。 朽ちたる佛像もあり。 此山に寺ありしといへとも寺號しれす。 怡土七ヶ寺の内なりしとそ。

棟札2つあり。「奉納大師堂」(昭和40年10月銘)、「屋根葺替え」(2005年銘)。 堂前に「平成元年発足記念樹」の杭あり。

ひとくちメモ

熊野神社の南側参道口(表参道)の石段を登り、参道口より3つ目の鳥居の手前を右手に10m入ると観音堂の境内である。 境内には、木造の「大師観音今山」の額が掲げられた観音堂と、石祠がみられる。 観音堂内には、観音菩薩の石像と主の居ない台座が並んで安置されている。 石祠は部屋は3つあり、中央には半跏姿の観音菩薩造が安置されている。 石祠の両脇には、薬師如来の石像が鎮座している。 境内には「清賀作の仏像」と思われるものは確認できない。

境内はかなり広い平坦面となっており、ここに神宮寺があった事は容易に想像できる。 礎石などは未確認。

写真

  • 『筑前國続風土記附録』巻之41 怡土郡上 夷魔山の挿絵。南側(表参道)からの鳥瞰図。山裾付近に朱色の観音堂が描かれている。
    『筑前國続風土記附録』巻之41 怡土郡上 夷魔山の挿絵。南側(表参道)からの鳥瞰図。山裾付近に朱色の観音堂が描かれている。 
  • 観音堂に掲げられた額
    観音堂に掲げられた額 
  • 石祠(中央の部屋に観音菩薩(石像)の半跏像、左右の部屋の主は不詳。両脇には薬師如来の石像がみられる)
    石祠(中央の部屋に観音菩薩(石像)の半跏像、左右の部屋の主は不詳。両脇には薬師如来の石像がみられる) 
  • 中央の観音菩薩像(拡大)
    中央の観音菩薩像(拡大) 
  • 右脇の薬師如来像(拡大)
    右脇の薬師如来像(拡大) 
  • 左脇の薬師如来像(拡大)
    左脇の薬師如来像(拡大) 
  • 杭
    杭 
  • 石段
    石段 
  • 参道口(熊野神社の下から3つ目の鳥居)
    参道口(熊野神社の下から3つ目の鳥居) 
  • 熊野神社参道口(裏手が今山)
    熊野神社参道口(裏手が今山) 

熊野神社

社殿
社殿 
拝殿
拝殿 
社殿脇の風景
社殿脇の風景 
社殿裏手の広場
社殿裏手の広場 
鳴神岩への道標
鳴神岩への道標 
山頂への道(古い石組みが見える。作者はここで足を滑らす)
山頂への道(古い石組みが見える。作者はここで足を滑らす) 
山頂
山頂 
今津港 - 拝殿裏手の広場より撮影
今津港 - 拝殿裏手の広場より撮影 
博多湾 - 拝殿裏手の広場より撮影
博多湾 - 拝殿裏手の広場より撮影 
福岡市西区の街並み - 拝殿裏手の広場より撮影
福岡市西区の街並み - 拝殿裏手の広場より撮影 
山内の風景
山内の風景 
山内の風景
山内の風景 
東側の参道口
東側の参道口 
表参道(南側)の鳥居
表参道(南側)の鳥居 
表参道脇のナンキンハゼ
表参道脇のナンキンハゼ 
表参道脇のナンキンハゼの実
表参道脇のナンキンハゼの実 
今山古墳の案内板
今山古墳の案内板 

門前の案内板(横浜自治会 氏子中)の内容を下に記す。

熊野神社

祭神
伊弉册尊(いざなみのみこと)速玉男命(はやたまおのみこと)事解男神(ことさかのおのみこと)
祭神
  • 享保12年(1728)拝殿改築の時,国主黒田継高公がその用材一切を寄進した。
  • 神功皇后が三韓から帰朝の後,紀州熊野から勧請されたとの言い伝えがある。
    今山を昔は,夷魔山.いまやま()と書いたが,それは昔,彦火々出見命が,この山上から弓で夷魔を射平らげたからだという……
    また別名を弓張山とも言った。その吉例により毎年九月十二日(旧暦)の大祭には,山内の杉や檜木で弓を作り神前に備えていた。
祭儀
  • 例 祭 10月12日
  • 祈年祭 3月12日
  • 感謝祭 12月12日
  • 月次祭 毎月12日

今山全域はおそらく原生林に近い状態で自然が保存されている。 作者が確認した木の名を下に記す。 JR筑肥線・今宿駅より徒歩20分足らず(1.5km)の所。 絶好の森林浴の場である。

オガタマノキ・カエデ・クス・イヌマキ・スギ・イチョウ・クロガネモチスダジイホルトノキ・サクラ・アジサイ・ナンキンハゼ


鳴神岩

上で述べた広場への登り口(熊野神社社殿に向って右手奥)に「鳴神岩」と表記された御影石製の道標がある。 その側面には「夷魔山熊野社後茂林の中に岩あり八大龍王と崇む。 高7尺餘、横5尺餘也。鳴神岩ともいふが 筑前国続風土記附録より。昭和15年頃採石のため山頂より玄武岩をこの地に降ろす」と記載されている(ここで「夷魔山(いまやま)」とは「今山」と同義)。

作者はこの岩を探し求めて社殿裏手の林の中を探しまわったが発見できず。 その後、山頂へのアタック(←大げさ)を試みるも、履いていた靴がジョギング用の靴で坂道で足を滑らせ危険を感じ断念。

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