仏旗 観音堂(かんのんどう) 不詳[未]  KANNON-DOU

  • 玄海嶋_『筑前國続風土記拾遺』挿絵
    玄海嶋_『筑前國続風土記拾遺』挿絵 
住所
〒819-0205 福岡県福岡市西区玄界島183-3 標高:9.2m MAP GMAP  
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歴史

『筑前國続風土記拾遺』巻之43 志摩郡 上 玄界嶋村の項に下記の記事がみられる。

○観音堂人家の上にあり。久泊山潮音庵の寺跡也。

○地蔵堂小鷹明神の後10歩斗にあり。

『筑前國続風土記』巻の23 志摩郡の項に下記の記事がみられる。 ふりがな・段落は作者が挿入した。

○玄海島非常の舟遥見番所山頂に在

唐泊(からどまり)より東北1里(ばかり)に在。 福岡よりは海上6里在。 此島は初は久島と云。 又其初は月海島と云り。 其後改て玄海島といへり。

元史に、五龍山と有は此島の事にや。 八幡愚童記に、鷹島と(はべる)るも此島の事成べし。 島の周り1里あり。

昔は此島に民家72家有しが、永禄1558-1570の初つかた、 世の擾亂(じゃうらん)甚しかりし時、野島の海賊しばしば来り侵しける故に、 島の前に竹を植て防とせり。 或時海賊數10人来りて掠略す。 ()に島の(おさ)榎田平次郎と云者。(よく)防ぎ戦ひければ、 海賊共叶ひ難くや思ひけん。 竹林に火を掛てけり。 折節海風烈敷(はげしく)吹ければ、人家にも火移りて、平次郎も防ぐ便なく、終にそこにて討死す。 其墓今も山上に在。 海賊は心の(まま)に乱暴して帰ける。

是よりして島民共(みな)海賊の来たらん事を恐て、玄海を退て宮浦に移り居れり。 故に玄海には民家も無くて、廃墟となりし事40年(ばかり)なり。

然れ共宮浦唐泊より時々渡りて(つくだ)する者もありしとかや。 ()くて四の海波風も納りて、 凶賊の(うれい)も止りしかば、(はじめに)この島に在し源三郎と云し者、 故郷を忘れあたくおもひ、其孫12歳になるを携て、慶長年中1592-1615(ここ)に住ける。 其後源三郎が親族、逐年来住けるが、他民も来て村里をなす。(以下記事推敲中)

ひとくちメモ

『筑前國続風土記』の志摩郡の項にも記事あり。