金武四箇警固神社
[警固大明神社・お薬師地蔵堂]
神仏習合
☆☆☆
老松宮
天神社
歴史
『筑前國続風土記附録』巻之39 早良郡 中 四箇村の項に下記の記事がみられる。
警固大明神社(神殿5尺2 4尺・拝殿ナシ・祭礼9月13日・奉祀長尾信濃)
蔣田[1]30戸の産神也。 祭る所は警固の三神也。 応徳3年(1084)那珂郡警固村より勧請すといふ[2]。 社は菰田[1]修理丞といふ者建立せりとそ。 社内に薬師堂・地蔵堂あり。
社殿に向かって右隣に現在もお薬師地蔵堂がある。
拝殿内の「警固神社改築寄付者名簿」(昭和59年(1984))に全73名中13名の「菰田」姓の方の氏名が記されている。お薬師地蔵堂内の「警固神社改築寄付者名簿」(年代不詳)に全52名中「菰田」姓の方の氏名が11名記されている。 これらの「菰田」姓の方々は『筑前國続風土記附録』で当社の建立者と記されている菰田修理丞の末裔の方々だろう。
地名の「四箇」について、当ページの下部に記す。
境内に「お薬師地蔵堂」があることは、福岡市西区在住の藤井様から教えて頂いた。感謝感謝。
ひとくちメモ
境内にはクス・イチョウ・イヌマキなどの高木がみられる。 境内の南側には2体の猿田彦大神が祀られている。
南側の油山方面を水源すると思われる貞島川が当社の手前で左右方向に分岐する。 大雨の時、水が社内に流れ込みやしないか余計な心配をしてしまう。
周辺には広大な田園風景が広がっている。
写真
お薬師地蔵堂
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御堂内には地蔵菩薩立像が1体祀られている。 真新しい石仏である。
『筑前國続風土記附録』の記事に記された時の仏像とは異なる尊像のようだ。
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地名「四箇」の由来について
『筑前國続風土記』巻之20 早良郡上 四箇村の項にこの「四箇」についての説が2つ記されている。
- 地名説
- 四箇村には、有久・真原・榊・薦田という4つの場所がある。 いずれも、12町の広さ。 そのために「四箇」となった。
- 神社説
- 四箇村には産土神が4社あった。 飯森権現・老松神社・警固大明神・鴈川天神の4社で「四箇」となった。
- この4社について、作者が下表にコメント記す。
神社 作者コメント 飯森権現 西区飯盛の飯森神社のことを言っているのかもしれないが、少し遠すぎるかもしれない。 他の神社なのかも知れない。 老松神社 当社南側300mほどの所に鎮座している老松宮のことと思われる。
境内の大木群(クス・マキ・クロガネモチ等)はなかなか他では見られない。警固大明神 当社(警固神社)のことと思われる。 鴈川天神 当社西側200mほどの所に鎮座している天神社のことだろうか?
周辺で「天神」「天満宮」という神社はここしか見当たらないが。。。
天神社、社殿前のタブノキは幹が中空となっている珍しいものである。
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