仏旗 栗田山(りつでんざん) 覚永寺(かくえいじ) 浄土真宗本願寺派  KAKUEIJI TEMPLE 伊藤氏参拝済

  • 山門
    山門 
住所・電話
〒812-0038 福岡県福岡市博多区祇園町4-9 標高:9.1m MAP GMAP 092-281-6553 
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歴史

伊藤氏メモ福岡寺院探訪』によれば、 夜須郡栗田村(くりだむら)[1]に開基の後、高宮村、今熊町[2]へと移り、大正9年1920第12世のとき現在地に移転、 本堂を建立したが、福岡空襲にて焼失し、昭和36年1961新たに本堂を建立したという。 また、[本尊の阿弥陀如来像は、戦災で焼失後、家族ぐるみの篤信家であった当時の門徒総代の方が、 家の本尊としていたものを当寺へ寄進したもので、寺の仏壇に置いても引けをとらぬ立派な仏像である。]との記載もある。()

伊藤氏メモ今熊町から現在地へ移転のきっかけは、旧冷泉小学校創立に際して、寺内用地を譲渡したことによるとのこと。 現本堂・庫裏・納骨堂は平成17年の落慶。昔は高宮にもあったことから、現在でも高宮方面にはご門徒さんが多いとのこと。現第15世。()

伊藤氏メモ高宮村への移転は慶長年間1596-1615、今熊町への移転は明暦年間1655-1658である。(浄土真宗本願寺派福岡組HPより) ()

参考資料:『筑前國続風土記拾遺』

ひとくちメモ

門前の道路は車の往来が激しい。 山門を入ると細長い参道がありその先が本堂である。

伊藤氏メモ当寺道向かいの博多警察署の東脇の小道の入口には「矢倉門[3]跡」と記された小さな石碑が建っている。()

写真

  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 本堂
    本堂 

『筑前國続風土記拾遺』巻之9 博多寺院(下)の項

覚永寺

真宗西万行寺の末なり。 始は夜須郡栗田村の内中嶋と云所に在。 中比那珂郡高宮村に轉移し明暦1655-1657の初明玄といふ僧今の所に寺を引けりといふ。 此寺に顕誉の影とてあり。其裏書に10年乙巳8月21日万行寺門徒筑前國夜須郡(りつ)田村覚永寺常住物願主明玄とあり。 年号の所紙腐爛して明らかならすといへとも10年乙巳は慶長中なり。 其頃までは明玄栗田村に在しと見ゆ。明玄ハ明暦2年9月17日死せり。


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