潮音山義弘院
海元寺
浄土宗
☆☆☆
閻魔堂
観音堂
ゑんま祭り
唐津街道博多
伊藤氏参拝済
博多寺町コース第28番
石城三十三箇所観音霊場第20番
- 住所・電話
- 〒812-0035 福岡県福岡市博多区中呉服町10-5 標高:8.5m 地図 GMAP 092-291-4520 ホームページ
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歴史
寺の縁起によると、長恩なる者が当寺を建立したと伝えられている。 開山の僧は大蓮社岌山徳公。 昔は真言宗で松原小崎にあったとされ、慶長年間(1596-1615)、現在地に移ったという。元禄13年(1700)、火災により焼失。 その後昭和37年(1962)にも火災に遭い、本尊の阿弥陀如来像も焼けた。現在、京都八幡市の正法寺より謙り受けた阿弥陀如来像が安置されているが、住職の話によれば、鎌倉時代の作ではないかという。
山門を入ってすぐ右側に閻魔堂と観音堂が同一棟続きで建てられている。
伊藤氏メモに第37世の晋山式が挙行。
門前の道は旧唐津街道の博多への入口にあたる。
ひとくちメモ
閻魔堂には地獄の支配者とされる閻魔大王と、三途の川で着物を剥ぎ取る 奪衣婆の像がある。
毎年1月16日と8月16日の「ゑんま祭り」では、この老婆にコンニャクを供えて、病気のアクをとるという風習がある。 その為この老婆は「こんにゃく婆さん」と親しまれている。 ちなみに、この風習はコンニャクは灰汁で固めて作る為、 灰汁="悪"を掛けている。
伊藤氏メモ閻魔堂・観音堂は、現在建替え工事中。本年(2016年)7月までには、新しいお堂が出来上がるそうです。堂内にあった閻魔大王や奪衣婆の像は、それまで八女の仏壇店預かりとのことです。()
新閻魔堂・観音堂を参拝してきました。(作者記)()
写真
閻魔堂・観音堂 観音堂内 閻魔堂内 山田子育て地蔵尊(案内板によれば、寺に古くから伝わる地蔵菩薩であるという) 三界萬霊塔 遠景 - 御笠川対岸の国道3号線より撮影 寺裏手の御笠川(左手が海元寺) - 石堂橋より撮影 遠景(画像中央に海元寺、手前は御笠川、右手は正定寺) - 石堂橋より撮影
閻魔堂・観音堂でのおたのしみ
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閻魔堂・観音堂 には様々なおたのしみアイテムが設置されている。
ガシャポンマシンが4台設置されている。景品は可愛らしいミニサイズの閻魔様のようだ。
御堂脇には写真撮影用の閻魔様変身用ボードが設置されている。
閻魔様のぬり絵・写仏の台紙が設置されている。 壁には奉納された多くの閻魔様の塗り絵が掲示されている。
2022-02-22現在、海元寺では観音菩薩修理事業を実施中とのこと。 募金箱が設置されている。 募金箱はくるくるコインという面白い仕掛けのものだ。 このマシンにコインを投入すると、まるでブラックホールに吸い込まれるように螺旋状の軌跡を描いてコインがマシンの中に吸い込まれていく。単純な構造だが、これがなかなか面白い。子供は(大人も)大喜びでコインを投入するだろう。
伊藤氏より御堂内に「くるくるコイン」が設置されているとの情報を頂き、久しぶりに参拝してきました。感謝感謝。 しばらく参拝しない間に、この「くるくるコイン」始め様々なおたのしみの工夫がされていた。
閻魔堂の由来
御堂内で配布されているパンフレットの内容を下に抜粋。
海元寺にある閻魔さまは、江戸時代の延宝8年(1680)には石堂口から松原の方に入って左手にあった自性院という寺に祀られていましたが、縁あって海元寺の山内に移転して現在にいたっています。
閻魔さまの由来は、黒田光之公の宰臣鎌田九郎兵衛の槍持であった源七(出家名:円心という)という者が、上方のとある辻堂で閻魔さまの木像の首の部分を、筑前に持ち帰って、これを安置するために自性院を建てたのが始まりといわれています。
観音堂の由来
伊藤氏メモ観音堂には西国三十三所観世音菩薩が安置されている。 竪町(現在の中呉服町あたり)に住んでいた弥三次が、観世音菩薩を深く信念し、西国三十三所の観世音を模写し安置しようと考えた。当時の住職がその志に感銘し、海元寺境内地にお堂を建立し、仏像を安置した。寛永元年(1624)のことである。(堂内解説表示より)()
博学博多200 増補改訂版
伊藤氏メモ応永3年(1396)に大蓮社岌山徳公が開いたもので、 元々は現在の東区箱崎あたりにあったが、黒田家の藩政に伴い現在地に移転。 境内閻魔堂の閻魔像は、源七という槍持中間が上方の辻堂から盗み出したものであるが、 罪の思いに耐え切れず出家して当寺に堂を建てて祀ったものという。(『博学博多200 増補改訂版 』より)()
『筑前國続風土記』巻之4 博多の項
「長恩山義弘院 官内町にあり」とある。
『筑前國続風土記拾遺』巻之9 博多寺院(下)
潮音山義弘院と号す。 浄土宗鎮西派知恩院に属せり。 開山の僧を岌山徳公といふ。 其年時しらす。 長恩といひし者建立す。 因て長恩山と号せしか後に今の文字に改といへり。 此寺むかしハ獨鈷寺(或云大福寺)と号し真言宗なり。 博多松原の内古崎と云所にあり。 今に其寺址残れり。 興雲公入國し給ふ後今の地に引けりといふ。
什物に虚堂か墨跡を蔵む。 (附録に近年濡衣の邉より石龜を掘出す。中に枯骨あり。 其石に白鳳元年壬申(661)と識せり。其龜寺内に移せしよしいへり。今寺僧しらす。)
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