悟性山
常楽寺
[常楽禅寺]
臨済宗妙心寺派
★☆☆
清賀
駒引地蔵
八雲神社
伊藤氏参拝済
糸島東部八十八ヶ所霊場第34番
- 住所・電話
- 〒819-0162 福岡県福岡市西区今宿青木269-1 標高:15.7m 地図 GMAP 092-806-6497
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歴史
安国山 聖福寺の西部寺院。
『背振山系の山岳霊場遺跡資料集』によれば、 古くは清賀上人ゆかりの鉢伏山 金剛寺の子院であったようである。
開基は恵然にて、正徳3年(1713)の創建。住職の話によれば、当寺は、もと博多聖福寺の末寺にて、その隠居寺であったという。
参考:『筑前國続風土記』
ひとくちメモ
常楽寺は、今宿の田園地帯に伽藍を構えている。春には水仙・梅、夏にはサフランもどきの花が咲き綺麗である。
また、山門の表札が枯れていてよい雰囲気をかもし出している。
山門を入ってすぐ右手に駒引地蔵のお堂がある。堂内には中央に薬師如来、その右側に駒引地蔵が鎮座されている。 よく見ると馬を引いている。このお地蔵様には悲しい物語がある。この物語は『福岡歴史探訪』に詳述されているが、 ここではその内容をかいつまんで本ページの最後に記載する。
当寺の東側に八雲神社が鎮座している。
写真
駒引地蔵物語
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弘化3年(1846)正月、志摩郡青木村(現在の福岡市西区青木)の与助は福岡家中に年貢を納めた後、 福岡のメインストリートの六丁筋を黒門の方へ馬を引いて帰る途中、突然馬が暴れだした。 通行中の池上真之丞(無足組、15石4人扶持)は、驚いて道の脇へ避けようとして、袴を汚してしまった。
真之丞は大声で「無礼者」と叫び、肝をつぶした与助は逃げたが、姪浜の者に捉えられ真之丞に引き渡された。 与助は郡役所に引き渡され、今宿の牢に収監された。
真之丞は、無礼者のこの農民を斬り捨てようと上役に届け出て、屋敷内で斬り捨ててしまった。
青木村の村人は、与助の遺体を涙ながらに村に運び丁重に葬った。 村人は憐れな最期を遂げた与助の霊を慰めようと、常楽寺の境内に馬を引いた姿の与助を彫って安置した。
その後の真之丞は異説もあるようであるが、藩当局より「大休」処分となる。 今で言う休職処分で3年間の減俸処分である。与助の霊も少しは浮かばれたのではなかろうか?
『筑前國続風土記』
「常楽寺」久保にあり。悟性山と号す。禅宗済下博多聖福寺の末院也。開基の僧不詳。一説に閑山和尚とも云。
八雲神社
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祭神は素戔嗚命・櫛稲田姫命・大己貴命。(境内の案内板(平成9年(1997)銘)より)
当社は青木・上の原の産土神として祭祀されている。
はじめは堀の内、北の谷山中に祀られていたが、焼失したため、元和2年(1616)再建。 明治15年(1882)に当地に移された。
元禄14年(1701)、黒田4代藩主綱政が「若武者騎乗図」(狩野昌雲作)を奉納した。現在は福岡市博物館に保管されている。福岡市文化財。
元旦には今宿青木獅子舞が奉納される。(以上 境内の案内板(平成13年(2001)3月)より)
拝殿の前には大楠が立っている。社殿内に飾られている多くの絵馬の中で、酒樽のようなものを囲んで賑やかな酒宴の様子が描かれたものがある。人物一人ひとりの画像の脇に年齢・氏名が記されている。なかなか楽しい絵である。
【参考】『筑前國続風土記附録』巻の41怡土郡 上 上原村の項に下記の記事がみられる。 社名が「祇園社」となっているが、祭神・綱政奉納の絵馬の記事などが案内板の内容と一致している。
祇園社(神殿3間・社拝殿2間半3間・祭礼6月15日・9月19日・石鳥居1基・奉祀津田和泉)
志摩郡青木村との境にあり。 此村及び青木村・谷村(属村今宿)・女原村の産霊なり。 祭る所素戔鳥命・大己貴命・櫛稲田姫命也。 鎮座の始詳ならす。神殿に元禄年中綱政公掲け給ふ絵馬1篇あり。 社内に薬師堂あり。
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