飯盛神社
[飯盛三所権現宮]
神道
★☆☆
伊藤氏参拝済
- 住所・電話
-
〒819-0037 福岡県福岡市西区飯盛609
標高:47m
地図
GMAP
092-811-1329
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歴史
貞観元年(859)清和天皇は勅使和気清友を使わされ飯盛山に上・中・下宮、神宮寺の再建を命じられた。 これが当社の創建である。(ホームページより)
以下は『筑前國続風土記』巻之20 早良郡 上 の記事の抜粋である。
飯盛社
飯盛山の下に在。 この山飯を盛たるがごとく、まどかに高き故にその名とせり。 飯盛村も山下に在。(中略)
筑前国飯盛三所権現は、中殿伊弉冉尊、左方は宝満大神、右方は八幡大神なりと有。 しからば伊弉冉尊を飯盛権現と称せり。
飯盛、吉武、四箇村、金武、田村、羽根戸、野方およそ7村の惣社也。
この社は山の麓の高き岡の上に在。岡に上りて長路有。 その奥右の方に御社あり。 南に向かヘリ。 岡の上の境地広し。 昔は大社にて神領も多く、祠官も数多く侍りしとかや。
今に神職の家に古き文書多く残りて、昔の盛なりし事を推はかり侍る。 また古昔は年中の祭礼度々有しと云。 月毎の朔日に必ず祭を執行ひ、五節句にも祭有。 6月晦日の夏越の祓有。 9月9日に大祭有りて、神輿御幸有。 今なお昔の残とて馬場末に神輿休の石有。 12月初卯にも祭有。 今多くは古法を失ひしかども、正月3日には、御饌を供え初む。 14日には餅を供う。同15日には去年よりそなへ置し粥の乾潤と黴の出るを見て、方角をさして、その年の穀の豊凶を試み知る事有[1]。(中略)
9月9日には恒例の祭有り。 流鏑馬有。 里人打つどひ御饌を供へ、祭事を執行ふ。
社の南に文殊堂有。神宮寺有。 天台宗也。(以下略)
ひとくちメモ
作者は氏子の範囲から少し外れた所に住むが、飯盛文珠堂と共に、年に数回は参拝する。
初詣、七五三、流鏑馬等のお祭りの時は大勢の人で賑わう。
門前の流鏑馬の走る馬場を道なりに行けば15分程で中宮、その上の山頂には上宮がある。 登山客も多い。
イベント情報(今日から1年間)
○主催者などに事前に確認の上、参加下さい○
日時 | 内容 | 備考 | 状態 |
---|---|---|---|
2023-10-09(月) (13:00〜15:00) | 秋期大祭流鏑馬式 | 確定 | |
2024-02-03(土) (19:00〜21:00) | 追儺祭 | 節分豆まき。鬼も登場。 | 確定 |
写真
拝殿内 相撲場 境内風景 - 拝殿を背にして撮影 養老の大楠 - 神殿の裏手 夫婦杉 - 境内の西側 流鏑馬の像 飯盛山 - 東側より撮影 飯盛山 - 東側より望遠にて撮影 飯盛権現社図(左下隅に神宮寺・文殊堂が描かれている) - 『筑前國続風土記附録』(中)挿絵 )
中宮
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中宮の鳥居の大きさには驚く。
ここまでは、車道があり乗用車でも登ってくることができる。 駐車場もあるが、10台前後のスペースしかない。
ここに上宮への登山口が3つある。 ここからは、徒歩にての登山となる。 3つある登山道のうちの一つには車道があり、かなり上まで車道があるが、車止めがあり進入禁止となっている。
2022-11-08、快晴。金千寺の住職に同行をお願いし2人で上宮を参拝。 下宮から上宮までの登山道は、手入れが行き届いており見通しは良好。 平日にも関わらず、数人の登山者も見かけた。
中宮跡
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鳥居脇に案内板([飯森山三社中宮社「中宮阯」 再建(五十猛尊を勧請降臨の地)]平成元年銘)に 平成14年12月28日に本来の中宮社鎮座の地である「三蔵山」の頂きで五十猛尊を勧請した時に、 「山々の木々は体動し、恐ろしい迄もの地鳴りと騒めきが起こった」(以下略)とある。
この文章中の「三蔵山」が何処の山なのかが分からない。気になる所であるが深入は禁物。自重。
上宮
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上宮が鎮座する頂上はかなり広い平坦面となっている。
周辺は木々に覆われ、外界の景色は残念ながらあまりよろしくない。
この直前の200mほどの登山道は直線的で旧角度となっており、鎖道の所も一部ある。 かなりキツイ。
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