heritage 法長寺跡(ほうちょうじあと) 仏教礼拝所 ☆☆☆ 伊藤氏参拝済 粕屋郡三十三観音霊場第32番札所

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〒813-0043 福岡県福岡市東区名島3丁目14番   標高:5.9m 地図
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歴史

Linksのページによれば、この観音堂は「法長寺」と表記されている。 観音堂に向って右側の一画には多数の墓標がある。 風雪にさらされかなり傷んではいるが、「當山十九世智妙大和尚」「第九世法■智■」などの銘のものがある。 どうやらこの観音堂のあったお寺の歴代住職の墓群のようである。 下の『風土記』『拾遺』によれば、 名島城が城として機能していた戦国末期以前にはこの付近には多数の寺院があったようである。 この観音堂はそのうちの一つの寺の跡なのであろう。 この寺号の由来については作者はわからない。 本サイトでのこの観音堂の表記はLinksに従い、「法長寺」を採用する事とする。

観音堂境内の道路沿いに巨大な石碑が建っている。多数の文字が書かれていたようであるが、 風化が激しく、表題の「龕塔碑」の文字のみしか読み取れない。 これにこの観音堂の由緒が書かれていたのかもしれない。

この石碑にお寺の記事が書いてあるのではなかろうか?

関連するとかもしれない『筑前國続風土記』『筑前國続風土記拾遺』の記事をページの末尾に掲示する。

粕屋郡三十三観音霊場第32番札所(本尊:十一面観音)となっている。

ひとくちメモ

観音堂は広い広場の片隅にひっそりと建っている。 空き地内にはムクの木の大木、観音堂の前には桜の木の大木がある。 広場の南橋には「岩見重太郎生誕之地」の石碑がある。 旧名島城主小早川隆景の剣術指南役岩見重左衛門の二男で、 剣豪であり狒々(ひひ)退治をはじめとする多数の武勇伝があるようである。

写真

  • 観音堂
    観音堂 
  • 観音堂の表札
    観音堂の表札 
  • 墓石群 - 観音堂に向って右側の一画
    墓石群 - 観音堂に向って右側の一画 
  • 「淵波左門之墓」墓碑
    「淵波左門之墓」墓碑 
  • 「龕塔碑」(表面)
    「龕塔碑」(表面) 
  • 「龕塔碑」(裏面)
    「龕塔碑」(裏面) 
  • 遠景 - 東側の公園から撮影
    遠景 - 東側の公園から撮影 
  • 「岩見重太郎生誕之地」の石碑 - 観音堂のある広場の南端
    「岩見重太郎生誕之地」の石碑 - 観音堂のある広場の南端 

『筑前國続風土記』巻之18 名島辯財天社の項

(前略)社僧の寺は名島山と號す。天台宗なり。國君より社領20石餘寄附せらる。 また其西北辯財天の社の側に近き所に寺あり。宗榮寺と云、(後略)

『筑前國続風土記拾遺』巻之39 名嶋村 辯財天の項

(前略)社僧か坊を神宮寺海蔵院と云。天台宗比叡山末也。 寺内に護摩堂有。小早川家の時神宮寺と云有しか、 其後久しく絶廃せしを、慶安年中(1648-1651)に至り収憲と云僧に、社家吉村何某より社務を譲れし。 是神宮寺中興の開基也と云。(後略)

『筑前國続風土記拾遺』巻之39 名嶋村 宗栄寺の項

(前略)又大名町と云所に瑞慶庵とて有。神宮寺の末也。 此外古寺址多くあり。 極樂寺址有。蓮池の上に在。後の松山を浄土寺山と云。 古墓多し。 徳正寺址ハ鷺棚と云處に在。 観音寺址ハ村の南八千代の松とて大木の松有。 是其址也。 佛花寺址ハ高又に在。 正龍寺址ハ内堀に在。 神宮寺址ハ本丸の南の下にあり。 これ當城在りし時の廃寺也。

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