heritage 光星山 寶照院北辰堂旧跡(ほうしょういんほくしんどうきゅうせき) [宝照院・博多の北辰様] 天台寺修験派 ☆☆☆ 大黒天福迎祭 伊藤氏参拝済 福岡市新四国霊場第75番

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〒812-0039 福岡県福岡市博多区冷泉町8-23   標高:9.7m 地図 GMAP  
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本尊
北辰妙見大菩薩
脇持
大黒天尊(宝満山旧奥ノ坊本尊・伝教大師最澄作)  不動明王(宝満山旧吉祥坊本尊)  神変大菩薩(宝満山遺傭)

歴史

当院は明治のはじめより当地にあったが、令和3年(2021)、境内の老朽化により、やむなく故郷の宝満山の麓に移転することとなった。移転後も地元に定着している七夕祭りなどの祭事は継続される。(以上 西日本新聞(2021-11-04)より)

伊藤氏メモ隣接の喫茶店とともに完全撤去されて、現在は空き地となっています。()

移転先など詳細が判明したら記事を更新します。 当ページに掲示している記事・画像は移転前のものです。

境内で配布されているパンフレットの内容をそのまま記載する。

当院は元々智欒院と号し、永い間無住の時代が続き古文書等の語録は紛散し正確な創立年代については不明である。 しかし、明和4年(1767)の竈門山入峰伝記にはその名が見え少なくとも江戸時代初期には創建されたものと推測され、開山は山崎見龍と云う人物と伝えられている。

江戸期には、竈門山座主配下の博多における修験寺院であった。

明治になり神仏分離令・廃仏毀釈により修験道は廃止され山を降りざるを得なかった山伏の中で宝満山25坊の内、 大黒天奥ノ坊95代重弁が明治6年入寺して、その法統を引き継いでいる。

明治33年(1900)に糸島郡志摩町小田にあった宝照院と合併し、その際に寺号を現在の宝照院に改められた。 本尊の北辰妙見は北極星を神格化したもので、中国からの渡来佛と云われ公開はされず蛇亀に乗った女神像と 伝えられている。

昔より(火除けの神)として信仰され、本尊をお配りしているこの地域は先の大戦でも空襲の難を逃れ、現在まで殆ど火災も起きていない。[1]

『宝満山歴史散歩』では、大黒天は「塩売大黒」「塩振り大黒」などの異名があるという。 その由来は同書をご覧ください。 毎年12月2日と3日は「大黒天福迎祭」が開催され、木造大黒天像が開帳される。

参考:『福岡・博多の町名誌』の記事  『宝満山歴史散歩』の記事  『福岡寺院探訪』の記事

ひとくちメモ

周辺は近代的な建物が立ち並ぶが、門前の道は昔ながらの狭い道である。 境内に入ると、手水、石仏、慶應元年(1865)銘北辰宮再建碑などがコンパクトに安置されている。 (この再建碑の保存状態は良好である。) 北辰堂はその一番奥にある。 北辰堂前で礼拝していると、隣の喫茶店から寺族の方と思われる女性の方が出てこられ、 北辰堂の話をいろいろしていただけた。

門前の道は、毎年7月15日に催される博多祇園山笠「追い山」のコースとなっている。 その東南側の四辻は「博多祇園山笠最大難所」となっている。 山笠は大博通りから南西に進み、この狭い四辻で90度右にカーブ、寶照院北辰堂旧跡の門前を通り、一気に決勝点に近い昭和通りに駆け抜ける。

イベント情報(今日から1年間)

○主催者などに事前に確認の上、参加下さい○

日時内容備考状態
2023-12-02(土)〜2023-12-03()大黒天福迎祭木造大黒天像が開帳される確定

写真

  • 境内風景 - 北辰堂を背にして撮影
    境内風景 - 北辰堂を背にして撮影 
  • 北辰堂の扁額
    北辰堂の扁額 
  • 境内の石仏
    境内の石仏 
  • 北辰宮再建碑(慶應元年4月吉日銘)
    北辰宮再建碑(慶應元年4月吉日銘) 
  • 山門
    山門 
  • 門前の風景(左手が寶照院北辰堂旧跡)
    門前の風景(左手が寶照院北辰堂旧跡) 
  • 「博多祇園山笠最大難所」の標識
    「博多祇園山笠最大難所」の標識 
  • 「博多祇園山笠最大難所」の標識遠景
    「博多祇園山笠最大難所」の標識遠景 

年中行事

1月1日午前0時修正会 年頭初祈祷
2月節分午前9時〜終日星祭 本尊会 厄除護摩祈祷 御札授与
3月第二日曜日星野村(採灯護摩焚法要)
5月第二日曜日宝満山峰入(宝満山開山の心蓮上人の墓へ詣でます)
5月最終日曜日竃門神社 (採灯護摩焚法要)
8月6日午後6時〜夏祭 七夕 修験秘法護摩祈祷・辻祈祷
11月3日背振神社 (採灯護摩焚法要)
12月2日午前4時〜午前0時大黒天福迎祭 伝教大師作霊像開扉
・福引・ぜんざい接待
12月3日午前9時〜午後4時

『福岡・博多の町名誌』の記事

『福岡・博多の町名誌』によれば、 江戸期このあたりは竹若町(たけわかまち)[2](現冷泉町8・9番)と呼ばれ、 竹若と名乗る織物師がいたことから町名になったという。 江戸期には寶照院北辰堂旧跡は「北辰さま」と呼ばれ、町では本尊を火災除けの神様として祀ってきた。 明治期前に無住になっていたようである。

『宝満山歴史散歩』の記事

『宝満山歴史散歩』よれば、 明治期の神仏分離令、修験道の廃止により、宝満370坊の中の奥之坊が糸島市前原に下山。 その後この地の人たちの要請により寶照院北辰堂旧跡に入り現在に至っているという。 本堂内に安置されている大黒像は、宝満山奥之坊より持ち込んできたものという。

『福岡寺院探訪』の記事

伊藤氏メモ『福岡寺院探訪』に次のような記載がある。()

本山京都聖護院。本尊北辰妙見。宝満山よりこの地に移ったという当寺は、『博多風土記』に記されているところによれば、「昔、知楽院とも称していた相当古い祈祷所で(中略)明治初年頃(中略)、宝満山の大黒坊から大岡重弁という修験道の先達を迎え入れて宝照院にすえ、現在に及んでいる」とあり、「北辰さま」の呼び名で親しまれていた。

関連ページ(※歴史的に過去に関連していた神仏施設他も含めています。必ずしも現在関連しているとは限りません。)

周辺のスポット(4km以内)

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脚注