heritage 神龍山 報恩寺(ほうおんじ) [建久報恩孝光禅寺跡] 臨済宗妙心寺派 ★☆☆ 栄西 菩提樹 伊藤氏参拝済

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〒813-0011 福岡県福岡市東区香椎3-17-8   標高:19.5m 地図 GMAP 092-672-4681 
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歴史

境内の案内板の内容をそのまま記す。

當寺由緒

此の地は文治7年(1191)榮西禅師が文治寺を建立して、 香椎に15坊を並べたる遺跡にして後、 榮西禅師は支那より禅法を伝え来り、建久3年(1192)勅許を得て勅賜報恩孝光禅寺を此の地に創建し、初めて禅門授戒の式を行へり。

法燈益々繁榮せしが、天正14年(1586)兵火のため灰燼となる。 爾来400年僅かに観音薬師の2小宇を存するのみとなりしを昭和5年(1930)扶桑最初禅窟安國山聖福寺塔頭圓覚禅寺第17世猷山和尚復興を 発願し報恩寺故地を買収、観音堂を修理。方丈を建立せしも老朽せしにより昭和60年(1985)今日■に第二次復興計画にて観音堂を修理境内地整地方丈再新築、 現在に至る。

尚榮西禅師中国より持ち帰りし菩提樹を植え茶種を蒔く事日本最初の地なり。

右 神龍山 建久報恩孝光禅寺

伊藤氏メモLinks① に次のような記載がある。()

『宗門授戒和讃』に「筑前香椎の宮前に此処にて授戒をなし給ふ、是れ禅門授戒の始めなり」とあり。 また、『香椎宮日記』に「僧葉上(=栄西の別名)をして無想心地の大戒を修す」とある。 創建に当たり栄西が香椎宮四党の庁官に乞い、庁官がこのことを関東に訴え、「勅賜建久報恩孝光禅寺」の号を賜り創建したものである。

参考:『筑前國続風土記』

ひとくちメモ

報恩寺は香椎宮の裏手にひっそりと伽藍を構えている。 聖福寺に属する寺院である。

山門を入ると苔むした飛び石がありその先が本堂である。

本堂脇には栄西が初めて日本に伝えたと言われる菩提樹がある。 ただ、上の『筑前國続風土記』によれば、現在植えられているものは後の世の人が改めて植え直したもののようである。

この菩提樹は中国原産のシナノキ科シナノキ属の落葉高木ボダイジュ(Tilia miqueliana)で釈尊が悟りを開いたインド原産のクワ科イチジク属の常緑高木インドボダイジュとは異なる。 葉の形がインド菩提樹はハート型に近く中国産のものは3つに割れていてインド菩提樹と比べて小さい。 福岡市内ではインド菩提樹は西区の福智山 金千寺の境内で観ることができる。

山門脇(向かって左手)の榎の木はかなりの巨木である。

写真

  • 菩提樹の葉
    菩提樹の葉 
  • 木の根元の石仏様
    木の根元の石仏様 
  • 山門
    山門 
  • 観音堂
    観音堂 
  • 境内風景(勅賜建久報恩孝光禅寺跡)
    境内風景(勅賜建久報恩孝光禅寺跡) 
  • 遠景(山門脇の榎の木はかなりの巨木である)
    遠景(山門脇の榎の木はかなりの巨木である) 

筑前國続風土記』巻之19 ○報恩寺

神席の北の側に其跡残れり。 今は寺院なく、佛堂なく、只其名のみ残れり。 元亭釋書榮西の傳に、建久3年香椎神宮の側に於いて 建久報恩寺を構ふと有。 則此寺の亊也。 6年に聖福寺を創立す。 此寺の創立は聖福寺より四年前なれば、 日本にて禪宗び初は此寺也。 今古き位牌など少し残りて民家に在。 又建久元年、榮西宋に在し時、商の船に菩提樹をことづけて、 日本に渡し、香椎の神祠に植しことも、元亭釋書榮西が傳に見えたり。 建久6年、此木を分ちて東大寺にうう。 其後建久寺に植しを、漸天下に分うヽ。 然共今は此寺に菩提樹はなし。

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