華香山
般若院
[松月庵]
真言宗大覚寺派
★☆☆
伊藤氏参拝済
福岡市新四国霊場第31番
九州八十八ヶ所百八霊場第2番札所
- 住所・電話
- 〒815-0073 福岡県福岡市南区大池1丁目3-15 標高:36.8m 地図 GMAP 092-541-5086
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- 本尊
- 十一面観音立像
歴史
宝永4年(1707)、 立花実山[1]が主君三代藩主黒田光之の死後即剃髪、住吉に松月庵を結びそこに入る。 東林寺 のパンフレットによると、同寺の末寺とある。 場所は博多区住吉の住吉神社境内北側にあったと思われるが定かではない。 後述する。 博多駅の移転に伴う新幹線の開通を受けて、 昭和39年(1964)に福岡市南区(現在の地)に移転。その後般若院と改名。
実山が開いた場所は、住吉神社北側としかわからない。 住吉神社境内の案内板によると「京都 東福寺の書記正徹禅師が松月庵を建て、 滴露水という井戸を掘ってお茶をたてた跡がある」とあり、実際境内のその跡を作者は確認している(稲荷神社の北側の林の中)。 また、『筑前國続風土記』にもそれに近い記述がある。 しかし、『南方録と茶の心』(東林寺発行)によると正徹禅師が開いたという事は実山の作り話のようである。 従って、もともとあった場所は不明である。現在住吉神社の北側には、松月保育園があり、 そこであった可能性もある。が、謎である。
ひとくちメモ
般若院は福岡市南区の高台に伽藍を構えている。 境内では多数の石仏がみられる。 境内からは、遠く太宰府・大野城方面の山々も見える。
明治16年銘の石塔には「松月庵」の文字が読める。 また、三十三観音の石塔は、先端部分が折れ曲がった形状でびっしりと観音様の線刻ほどこされている。 珍しいものである。
写真
本堂の扁額 地蔵菩薩と不動明王像 弁天堂 三十三観音の石塔 三十三観音の石塔(拡大・観音様の線刻がびっしりとされている) 境内風景 - 本堂前より撮影 境内の石仏群 明治16年銘の石塔(「松月庵」の文字が読める) 山門 境内の石仏群 境内の石仏群 境内の石仏群 境内の石仏群 境内の石仏群 境内風景(遠く大野城方面の山々が見える)
『九州八十八所巡礼』の記事
伊藤氏メモ『九州八十八所巡礼』によると、以下のとおりである。
般若院の前身である松月庵を建立した立花実山は、明暦元年(1655)黒田藩家老の立花平左衛門の二男に生まれた。以来、武士として成長したが、若くして茶の道を志し、茶道南坊流の奥義を極めた。
実山が出家して宗有と改名したのは宝永4年(1707)のことで、住吉に松月庵を建てて悠々自適の生活を送っていた。ところが、翌年藩主黒田綱政の怒りをかい、嘉摩郡鯰田(現:飯塚市鯰田)の地に幽閉され、その地で没した。
松月庵は茶人が好んで住むようになり、後に大師堂が建立された。しかし、明治初期の混乱で衰退し、小堂を残すのみとなってしまった。明治45年(1912)本堂や庫裡を建立。昭和39年(1964)山陽新幹線の開通に伴い現在地に移転して、高野山の般若院の寺号を移した。()
『筑前國続風土記附録』巻之7 那珂郡 上 住吉村の項
![]() | 『筑前名所図会』 |
松月庵舊跡(本編に見えたる正徹潟。今其所さだかならす。)
本編に詳なり。 此所に正徹か、うかちし井泉あり。 滴露水と名つく。 木牌に正徹か歌あり。 「自滴留露乎松陰耳不乾本土能小井乃水」、 井の傍に秋葉権現の小祠あり。 又此境内に近年弘法大師堂を新に造立せり。 四國八十八ヶ所の佛像・弘法の像石體皆一所にあり。
右図の赤丸の位置に「松月庵跡」が確認できる。 住吉神社は現在の建物の配置にほぼ近い。
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