歓喜山安穏寺
源光院跡
天台宗
☆☆☆
桜
光雲神社
伊藤氏参拝済
歴史
伊藤氏メモ『筑前国福岡区地誌 (1980年)』荒戸村の項に次のような記載がある。
天台宗本山松源院に同じ黒田忠之創立せらる初めは薬院町の辺にあり。承応2年(1653)営作成就して将軍家光公の霊牌を安置せり。
寺伝に開山豪秀は備前国の人なり。慶安2年(1649)叡山西塔の現光院より当寺に転住し現光院と号せり。 其の後、源光院と改むるとあり然れば、此の寺を忠之予め経営せられ初めより豪秀は下向せしなるべし。 同5年(1652)忠之より那珂郡平尾村にて320石を寄附せらる。
2世良悦が時、寛文8年(1668)回禄にかかりて寺焼亡しければ、市中に近き故かかる憂ありとて、翌9年(1669)黒田光之、今の所に移し新たに堂宇を結搆せり。
享保19年(1734)荒戸山にて山林を寄せしか、明治元年(1868)松源院と同時に廃す。 昔の子院宝池庵定生庵の址とて近辺にあり。()
ひとくちメモ
『筑前國續風土記附録』巻之2福岡 上 東照宮の図によれば、源光院は現在の光雲神社(江戸期の東照宮)の本殿に登る石段に向って左手にあったようである。詳しくは源光院と松源院との位置関係参照のこと。 現在はその地には寺跡の遺構は無く、多数の桜の木が植えられている。 春には花見の名所である。
写真
源光院と松源院との位置関係
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『筑前名所図会』によれば、この源光院は上の『附録』とは真逆の光雲神社に登る石段に向って右側にあったように描かれている(下表参照)。 本サイトでは、『附録』は黒田藩の公式文書なので『附録』に記されている位置関係を採用する。
文書 | 向って左(西) | 向って右(東) |
---|---|---|
『筑前國續風土記付録』(1793) | 源光院 | 松源院 |
『筑前名所図会』(1821) | 松源院 | 源光院 |
関連ページ(※歴史的に過去に関連していた神仏施設他も含めています。必ずしも現在関連しているとは限りません。)
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