瑠璃山医王密寺
恵光院
高野山真言宗
★☆☆
写経
灯籠堂
菩提樹
菩提樹まつり
伊藤氏参拝済
唐津街道箱崎宿
福岡市新四国霊場第4番
九州三十六不動霊場第35番札所
九州二十四地蔵尊霊場第21番札所
筑前国中三十三観音霊場第4番札所
- 住所・電話
-
〒812-0054 福岡県福岡市東区馬出5-36-35
標高:2.3m
地図
GMAP
092-651-5133
- 検索
- 同地区同宗派(2) ( 4km以内 ) 関連ページ(1) MAP 周辺のスポット(16) Links(1) イベント
歴史
境内の説明板の内容をそのまま記す。
恵光院由緒
瑠璃山医王密寺 恵光院は高野山真言宗に属し宗祖 弘法大師、総本山金剛峯寺(和歌山県高野山)の末寺です。
寛永年中(1624-1644)筑前国二代藩主黒田忠之公を開基とし、 筥崎八幡宮の座主坊であった五智輪院弥勒寺の法印正範大和尚によって開山されました。
本尊の薬師如来は、薬師瑠璃光如来ともいい、 薬壺をもって身心の苦しみを救って下さる如来さまです。
恵光院は、筥崎八幡宮のお元結縁寺で、 歴代座主・祠官各家並びに一般檀信徒の霊牌を安置しており、日夜供養を続けております。
明治時代には、激しく吹き荒れた神仏分離によって、筥崎八幡宮周辺の各社坊が次々と廃滅するなか、 この難をのがれた恵光院に、筥崎宮や各社坊に残る多くの仏像・仏画等が移され、社坊中唯一存せる寺院として、 八幡宮守護の法燈を守り、今日に至っております。
当時の背景をなす宝物は、神仏分離以前の筥崎宮社坊の歴史を知る上で、貴重なものとなっています。
燈篭堂(承元2年(1208)創建)
天正15年(1587)6月14日豊臣秀吉公箱崎宿陣の折、 千利休居士が茶を奉ったところとして歴史上有名な遺跡です。
この建物は明治3年(1870)筥崎宮より移築[1]されたもので、 本尊の石仏十一面観音菩薩は箱崎の海中より出現したと伝えられ、 筑前国中三十三観音霊場の第四番札所として、衆庶の崇敬をうけております。
-- 拝記
『筑前國続風土記拾遺』巻之39 表糟屋郡 上 箱崎村 八幡宮の項に 筥崎宮に縁のある寺院は、座主坊であった五智輪院弥勒寺をはじめ、蓮乗坊・学頭坊・勧進坊・智禪坊・圓臺坊・一乗坊・一御灯坊・ニ御灯坊・慈眼院そしてこの恵光院があったという。 恵光院以外の寺院は現在はおそらく全て廃絶もしくは筥崎宮に併合されているのであろう。
ひとくちメモ
参道は2つある。筥崎宮の表参道側(東側)と旧唐津街道側(南側)である。 どうやら表参道は東側のようである。 本堂内の荘厳は中央(八幡宮 薬師如来(ご本尊)弘法大師)、左手(愛染明王 不動明王 弥勒菩薩)、右手(弁財天 毘沙門天 大黒天)以上9体である。
灯篭堂は上の案内板にもあるようにかなりの風格を感じる。 灯篭堂前には菩提樹の木があり、6月初旬から中旬にかけて一斉に黄色い花をつける。 この花の香りはなかなかいい。 (その時期に合わせて「菩提樹まつり」が開催される。)そのときは、本堂内で釈迦の涅槃図も開帳される。
また、銅葺屋根の本堂・地蔵堂もなかなか良い。 境内にスチール製ベンチが設置されている。これは散策・お参りする人にとって非常に助かる心配りである。
伊藤氏メモ恵光院の本堂内には参拝者のための御詠歌が流れていました。 これは初めてのパターンでした。 また、ご本尊の前には「五鈷杵」という密教法具が置かれておりご自由にお触れくださいとの表示がありました(開運にパワーを発揮するとの由)。これも初めてのパターンでした。 加えて、カラー刷りのパンフレットも持ち帰り自由で、ご本尊参拝者にかなり気をお遣いになっていることが伺えました。()
イベント情報(今日から1年間)
○主催者などに事前に確認の上、参加下さい○
日時 | 内容 | 備考 | 状態 |
---|---|---|---|
2023-06-05(月) (11:00〜14:00) | 菩提樹まつり | 菩提樹の花と涅槃図のご開帳と弘法大師御誕生法会 | 未確定 |
写真
『筑前國続風土記拾遺』巻之10 那珂郡 元 馬出村の項
上町に在。 真言宗彌勒寺の末也。 また、村内街道の南に石佛六軀立り。 法行寺といひし寺跡といふ。
関連ページ(※歴史的に過去に関連していた神仏施設他も含めています。必ずしも現在関連しているとは限りません。)
周辺のスポット(4km以内)
周辺の寺院・仏教施設・他のページは当ページの上部の検索の項の「4km以内」のボタンをご利用下さい。