heritage 瑞祥山 永福寺(えいふくじ) [永福禅寺] 曹洞宗 ★☆☆ 伊藤氏参拝済

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〒819-0012 福岡県福岡市西区能古481   標高:15.9m 地図 GMAP 092-881-1612 
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歴史

案内板の内容をそのまま記す。

創建年代は不明であるが、 金龍寺9世 延雪玄祝(えんせつげんしゅく)によって文禄2年(1593)に開かれたと言われている。 明和(1764-1772)と寛政(1789-1801)時代に火災にあい、古い記録などが消失したと言われて不明の点が多い。

慶長7年(1602)の地検帳によると、能古には神宮寺の他2寺があったと記されており、 明治元年(1868)神宮寺がほかの1寺を合併して永福寺と改称した。

伊藤氏メモ『福岡寺院探訪』に次のような記載がある。()

『能古島物語』(高田茂廣著)の永福寺の項に「神宮寺というのは今の永福寺のことであり、養油軒は江の口から西へ移り廃寺となった寺である。この2つの寺は、このようにはっきりしているのだが、立泉寺については全く分からない。」とあるように、この島には昔は3つの寺があったようだ。そして、当時の島の経済では3つの寺が存続(併存)するのは無理であったのだろうという。

伊藤氏によると現本堂は昭和36年の建立。現住職は第25世とのこと。

参考:『筑前國続風土記拾遺』

ひとくちメモ

永福寺が伽藍を構える能古島は、一日の観光コースに持って来いの島である。 姪浜の渡船場よりフェリーで約10分で上陸できる。このページの後半に姪浜の渡船場の案内板を掲示する。 永福寺の近辺には孔子廟能古焼古釜跡がある。

伊藤氏メモ信号機もない人口700人ほどの島の唯一のお寺ということで、他には感じられない趣を感じたものでした。 船で行くお寺参りもオツなものです。()

写真

  • 渡船場から永福寺に向かう道。前方に石段が見える
    渡船場から永福寺に向かう道。前方に石段が見える 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 巨大な達磨和尚の石像
    巨大な達磨和尚の石像 
  • 普堅菩薩の石像
    普堅菩薩の石像 
  • 境内の二十八観音の石像(案内板によれば昭和21年10月5日に渡船が沈没。28人が亡くなった。その霊を慰め、航路の安全を祈る為に建立されたとある。)
    境内の二十八観音の石像(案内板によれば昭和21年10月5日に渡船が沈没。28人が亡くなった。その霊を慰め、航路の安全を祈る為に建立されたとある。) 
  • 境内風景
    境内風景 
  • 境内風景
    境内風景 

孔子廟(こうしびょう)

孔子廟
孔子廟 

本堂に向かって左手に坂道を登って行くと孔子廟がある。孔子廟の扉に貼ってある案内書 には、孔子廟が日本で最初に建立されたのは8世紀にさかのぼり、 現在日本に残っている孔子廟は、東京湯島、佐賀県多久市など数ヶ所と言う。


能古焼古釜跡(のこやきこようあと)

古釜跡
古釜跡 

孔子廟のすぐ上に能古焼古窯跡がある。案内板によれば下記のとおりである。

能古焼古釜は、窯本体の長さが22m、最大幅5.28m、比高差5.2m 焚口部(たきぐちぶ)焼成部(しょうせいぶ)7室からなる8室構造の 連房式登窯(れんほうしきのぼりがま)です。

筑前国続風土記付録』、『筑前国続風土記拾遺』、 『筑前町村書上帳(ちくぜんちょうそんかきあげちょう)』には江戸時代中期後半(明和、天明年間、西暦1764-1788)に、 当地で陶磁器の製作がおこなわれていたことが書かれています。 発掘調査の結果、出土した遺物からも陶磁器製作の時期が18世紀後半であったことが確認されています。 出土遺物は焼き台などの窯の道具も多く、陶磁器では有田焼系の磁器と、高取焼系の磁器が多く出土しています。

能古古窯で生産されたものには、主に皿・茶碗などの日常雑器であると考えられますが、 福岡市域内で江戸時代中期後半に開窯し、有田焼系の磁器と高取焼系の磁器を焼いた窯は非常に珍しく、この窯跡は、 本市で唯一の残された古窯跡であり、 その保存状態も良く、陶磁器の研究、窯の変遷を研究する上で貴重な遺跡です。

(平成3年3月 福岡市教育委員会)


能古島(のこのしま)

能古の渡船場(姪浜側)から撮影した能古島
能古の渡船場(姪浜側)から撮影した能古島 
能古島の港(前方にフェリー乗り場が見える)
能古島の港(前方にフェリー乗り場が見える) 

能古島は、博多湾内に浮かぶ島で、福岡市営地下鉄姪浜(めいのはま)駅から、西鉄バスおよそ20分でその渡船場に行き、市営のフェリーで水行約10分の島である。 フェリー料金も往復で460円[平成26年10月現在]と安く島内にはのこのしまアイランドパークなどの観光施設も多くあり、 福岡市民の憩いの場である。蛇足であるが、井上陽水の「能古島の片想い」で歌われた島でもある。 季節季節で花・お土産物など多くある。

能古の渡船場(姪浜側)にある能古島の案内板には下記の記述がある。

能古島は、博多湾の真ん中にあり、南北3.5km、東西2km、周囲12km、 面積3.93平方km、島の一番高い所で195m、人口800人、海に囲まれた、緑豊かな自然と歴史に恵まれた美しい島です。

奈良時代には、防人(さきもり)が置かれ、万葉集が詠まれました。平安時代には牛の牧場ができ、 刀伊(とい)入寇(にゅうこう)(1019年)、鎌倉時代に 元寇(げんこう)(1274年,1281年)と、外国からの侵略も受けました。 江戸時代には、黒田藩の鹿の猟場となり、また、 五ヶ浦廻船(ごかうらかいせん)の浦の一つとして繁栄しました。

能古と言う地名は、万葉の時代以降"能許"、"能挙"、"能巨"、"能古"、"野古"、 そして江戸時代には"残島"と呼ばれました。

島内には、早田古墳(そうたこふん)万葉歌碑鹿垣(しかがき)能古焼登窯などの史跡、永福寺白鬚神社(しらひげじんじゃ)などの神社仏閣、壇一雄の旧宅や文学碑、能古博物館のこのしまアイランドパーク など、いろいろな史跡や施設があります。 このすばらしい歴史や自然をめぐる散策コースは、一周約9km、所用時間 5~6時間です。能古の素晴らしい自然や史跡。名勝をたのしむことができます。 (平成11年3月)


『筑前國続風土記拾遺』巻之43 早良郡 上 殘嶋浦の項

神宮寺

本浦に在。松尾山と号す。 禪宗洞家福岡金龍寺の末寺なり。 開山を玄祝二世を儀周といふ。 寺珍に茶入(夏目)茶碗(二口)あり。 霊源公[1]より賜りし物なりと云。 又銅杯有。(かつて)嶋中の地中より掘出せり。(シカ二郎と刻めり。) 此寺むかしハ承天寺の末なりしよし。 かの記録に見えたり。 (此寺の上の山に陶器を造る土あり。天明(1781-1789)の初年此土を取て製せしかいくほとなく其事やみたり。)

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