心灮山
大長寺
西山浄土宗
☆☆☆
博多塀
窟観音
伊藤氏参拝済
福岡市新四国霊場第65番
- 住所・電話
- 〒810-0073 福岡県福岡市中央区舞鶴1丁目3-9 標高:7.3m MAP GMAP 092-751-2864
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歴史
『筑前國続風土記』巻の3 福岡によれば下記の通りである。
山号を心光山雪幹院と言う。大長寺には黒田如水の父美濃守職隆の位牌及び書画がある。 その理由は、次のとおりである。如水の弟黒田修理圓則が那珂郡一の瀬村に職隆の寺を建て、 心光院西岸寺と言っていた。 開基の僧を長徹と言う。 圓則が亡くなりその寺を福岡城下に移そうとしていた。 その時大長寺の寺住文室が亡くなりその跡継ぎもいなかったことから西岸寺の僧を大長寺に移すとともに、職隆の書画位牌も一緒に移した。 元和3年(1617)職隆の三十三回忌にあたる時、 大長寺の山号を「福生山」より「心光山」[1]に改めた。
貞享元年(1684)黒田家3代光之が大長寺で法事を行わせた。鎌田九郎兵衛が代参した。 光之は「故あって」参拝していない。何故だろう??
本堂左手に「古木の根」が祀られている。その由緒については当ページの下部に掲示する。
参考:『筑前國続風土記拾遺』
ひとくちメモ
大長寺前の道は東側の親不孝通りから東西に約400mほど細い道(約4m)が一直線となっている。 この道は古い道のようである。 山門両脇の博多塀が美しい。 境内には観音堂・子安観音・地蔵菩薩像などがある。
写真
本堂の扁額 山門(博多塀が美しい)-境内から撮影 観音堂 窟観音 子安観音像 地蔵菩薩 境内風景 境内風景 - 本堂を背にして撮影 地蔵菩薩板碑(大きな地蔵菩薩が線刻されている) 霊場碑「城邊廿一番 國中五番 弘覺大師廿五靈場」 門前の風景 - 左手に大長寺 「蔵元 沖屋」(花関酒造) - 寺東側
「古木の根」
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伊藤氏メモ本堂左手にある横長い庇屋には、大きな古い木の根が安置されており、「古木の根」と題された下記のような主旨の説明書きが掲示されている。
この[古木の根]は、福岡藩の藩祖・黒田孝高(官兵衛・如水)の父・黒田職隆(1524-1585)の墓所から出土した珪化木(樹木の化石)です。
江戸時代の天明3年(1783)、播磨国飾東郡妻鹿村(現:兵庫県姫路市飾磨区妻鹿)で職隆の墓所が発見されたことから、黒田家は新たに職隆のご廟所を造営すべく、家臣らを妻鹿村に派遣し、普請に取りかからせました。その際、墓所の下から数千年もの歳月をかけて樹木が化石化したこの[古木の根]が掘り起こされました。
その後、普請は滞りなく進み、廟屋の周囲に玉垣をめぐらせたご廟所が完成。天明4年、この[古木の根]は福岡へ運ばれ、藩命により職隆の位牌を祀る当寺へ安置されました。その折り、黒田家の使者は、武士の正装である裃姿に[古木の根]の由緒書を携え丁寧に納めたと伝えられています。
黒田家は、長きにわたり職隆の墓所を見守ってきたこの[古木の根]を崇めるとともに、決して朽ちることのないその姿が、黒田家にとって末永い繁栄をもたらすものと考えたのでしょう。()
『筑前國続風土記拾遺』巻之3 福岡神社佛閣 下 東職人町の項
大長寺
心光山雪幹院と号す。 浄土宗西山派京都禪林寺の末なり。(栗生光明寺にも支配す。)
開山を圑空長徹といふ。 播磨國の人なり。
文禄中(1592-1596)如水公興雲公朝鮮軍に趣給ふ時、 圑空豊前園に有しか、文筆のため両公に従ひ彼地に海渡す。 慶長中(1596-1615)興雲公當國に入給ひし後、 圑空糟屋郡花津留の称善寺に来住す。 其比黒田養心(如水公の弟)先考職隆公の為に其采地那珂郡一瀬村に一宇を立、 心光山正岸寺と号し、寺産五拾石を寄附し、圑空を招きて住侶とす。 慶長17年(1612)養心卒す。 彼地に墓有。
さて此時大長寺といへるは、 初ハ小士野上何かしの宅地なりしを小刹となし、 福生山大長寺と号し、 舜空文徹と云(播磨國姫路産)僧の住せしか、 元和3(1617)年3月7日文徹死して無住なり。 此年に宗圓[2]公の三十三回といひ、 養心内室の発願にて圑空を此寺に轉し、 宗圓公の画像位牌をも一ノ瀬よりここに移せリ(本編に詳なり) 此時山号を改て、心光山とす。 故に嘗寺にては舜空をは先基といひ、圓空を山号開山と称す。
寛文8年(1668)10月火災にかかり、本堂霊屋悉く焦土と成。 其後再興あり。 又享保中(1716-1735)7世徳誉か時、材木を賜はり改造す。 安永5年住持印空又霊屋を造立す。 御家門の人々助成あり。 其餘の資材多くハ寺家の自力を以て功をなしぬ。
御霊(屋)に安置し奉る霊牌左の如し。
心光院殿満誉宗圓大居士
心光寺(ママ)殿性誉渓翁長壽大姉
春光院殿前野州大守善岩宗ト大禪定門
松誉宗貞大禪定尼天明4年(1784)8月22日は宗圓公の二百回忌に嘗らせ給ふゆゑ、 印空前年より豫め堂宇を修補せん事を思ひ立、 公に願ひしかは、公より米八拾俵を賜はりぬ。 同年6月27日公命有て、向後御霊屋を御軒付に定給ひ、 御寮施餓鬼の料米を賜事各差あり。是より歳首中元月々の御代参ハ御家門の人に定りぬ。 文化13年(1816)寺格濁禮轉せられ、年々米三俵を賜せらる。 文政6年(1823)國君より寺産四拾石を寄附し給ふ。 御判物(別に高目録一通添)
為(ニ)寺領(一)。於(二)那珂郡那珂村之内(一)。四拾石之地令(ニ)寄附(一レ)之詑。 可(レ)令(ニ)寺納(一)者也。
文政六年
12月7日 齊清[3] (御判)
大長寺當寺は國中一派の触頭たり。 本尊の弥陀佛ハ聖徳太子の作にて元近江國矢橋村の廃寺に在しを、圑空捧て 此地に来れり。 (或記に江州甲賀城主馬淵入道生西没落の時、彼如来舟人に現して湖水を渡し、 危難を救ひ給ひし霊像なりと記せり。 縁起一冊有し霊像なりと記せり。縁起一冊ありしか焼失して今はなし。) 寺内に観音堂 地蔵堂あり。寺傅に薬あり。
『筑前名所図会』と現在とではほぼ同じ伽藍配置である。窟観音もほぼ同じ位置にある。
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