毘沙門天
仏教礼拝所
☆☆☆
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- 〒819-0001 福岡県福岡市西区小戸1丁目31-7 標高:1.3m 地図 GMAP
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歴史
『筑前國続風土記』巻之20 早良郡上 姪浜の項に「浦山の西に城址有。興雲寺山と云。是澁川探題の城也と云。 後は斯波左京大夫住せり。上に毘沙門堂有。其西なる山を丸隈山と云。」とある。
一方『筑前國続風土記附録』巻之40 早良郡 下 姪濱村の項には「○毘沙門堂 丸隈山の上にあり。本編(『筑前國続風土記』)にハ興雲寺山とあり。里俗ハ光福寺山ともいふ。」とある。
当毘沙門堂のある山は興雲寺山・丸隈山のどちらなのか? 姪浜住吉神社門前の案内板によれば、「丸隈山。室町時代、渋川尭顕が城を構えたところ」とある。 どうやら、丸隈山が正解のようだ。 『筑前國続風土記』の誤りということだろう。
姪の浜の探題塚に設置された案内板によれば、「渋川尭顕は1534年ころ葬られた」とある。
石祠前の石鳥居には「文政十丁亥(1827)正月 願主野上尾□□□□」銘あり。 石祠の扉に「平成20年(2008)3月27日奉納 (個人名)」とある。
当地の標高がうまく計算されない。Google Earth測定で25mと計算される。 実際も25mくらいだと思います。
この場所は福岡市西区在住の藤井様より教えて頂いた。感謝感謝。
ひとくちメモ
参道口は丸隈山の南東側山裾にある。そこからは作者カウントで104段の石段を登ると境内にたどり着く。
境内には2基の鳥居があり、その先に石祠がある。 東側はほぼ90度の絶壁である。落下防止の為の柵が設置されており、転落の恐れはない。絶壁には全面強固な金属製の網が設置され頑丈に保護されてはいるものの、崩れたら山全体が崩壊して一巻の終わり。高所恐怖症の作者はあまり長居はしたくない場所である。
石祠はほぼ正六面体(各辺は約80cmほどか?)。かなりの年歴を経たもののようだ。 内部には自然石が三つ葉状に加工され、各々の葉の部分に3体の石仏(神)が線刻されている。 中央上部に弁財天(?。女神のように思える)、向って左手に毘沙門天、向って右手に大黒天が描かれている。 どう見ても主役は弁財天(?)と思われるのだが。。。毘沙門天と言われるのはこりゃ如何に?
石段の登り口の集落の東北側には船着き場跡と思しき構造物と、その脇には水中から船を引き揚げる為のレールが残っている。ここは昔は港で、船の修理もしていたのだろう。昔懐かしさを感じさせる場所である。 ここは名柄川の河口にあたる。
丸隈山の西側には元寇防塁跡がある。
写真
吉祥天(?、中央上部) 毘沙門天(向って左手) 大黒天(向って右手) 祭壇に置いてあった札(「毘沙門天 (真言)」「大黒天 (真言)」) 石祠(裏面。いたずら書きのようなものがあり) 石祠 境内風景 - 石祠を背にして撮影 境内から東側の絶壁の下を見下ろす 真新しい掃除用具 境内からの西側の眺め「小戸ゴルフセンター」が見える 丸隈山(赤矢印の先に石祠) - 北側のマリナ大橋より撮影 丸隈山(赤矢印の先に石祠。石祠が絶壁の上にある) - 東側の麓より撮影 丸隈山(赤矢印の先に石祠) - 東側の名柄川の対岸より撮影 丸隈山 - 西側の元寇防塁跡から撮影 丸隈山の北側の山中のサギの巣 - 東側の名柄川の対岸より望遠にて撮影
参道の石段
石段の段差は低く、ピッチが長い。 104段ほどあるが登るにはそれほど苦にならない。 つづら折りの経路である。
石段の両サイドは、雑木林となってはいるが、きれいに刈り込まれていて見通しは良い。
元寇防塁跡
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境内の案内板(2000年3月 福岡市教育委員会)によれば、このあたりの防塁の構築は肥前国が分担していたという。
サッカーグラウンド程の芝生が生えた広場となっており、マウンド状箇所がある。 そこには所々石が頭を出した所があるが、これが防塁の石なのだろうか?
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