torii 鷲尾愛宕神社(わしおあたごじんじゃ) [愛宕神社] 神道 ★☆☆ 火渡り 唐津街道 伊藤氏参拝済 火祭り・大柴燈護摩供

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〒819-0015 福岡県福岡市西区愛宕2丁目7-1   標高:41.1m 地図 GMAP 092-881-0103  ホームページ
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歴史

当社は地元では、「鷲尾愛宕神社」ではなく、単に「愛宕神社」とほとんどの人は呼んでいる。 ホームページでは「鷲尾愛宕神社」が正式な社号のようだ。 その理由は下に引用する『筑前國続風土記』巻之20 早良郡 上の項に記されている。 江戸期の当社の様子も描かれている。読み慣れない古文、我慢してお読み下さい。

○鷲尾権現愛宕権現

姪浜浦、山の上に在。姪浜に属せり。 この山を鷲尾山と云。(中略)

鷲尾権現、古来より此所に鎮座し給ふ。 里人の説に、この御神は彦山権現と同神也。(はじめ)は彦山権現もここに(まつ)り、 (これ)より彦山に移し奉ると云。(此神を彦山に移せる事(たしか)ならず。彦山権現は、熊野と同神也。)

今この鷲尾権現は、愛宕の後に在る小祠也。

霜月15日祭あり。

寛永10年(1633)、国主忠之[1]君、国中に愛宕の社なき事を憂へ給ひて、山城国・愛宕権現を、(ここ)に勧請して祭り給ふ。 家臣花房次左衛門、木村太左衛門を営作の総司として経営せしめ、翌年に至りて成就せり。

光仁天皇天慶年(938-947)中、慶俊法師といふ者、丹波国・愛宕山に勝軍地蔵を合せ祭りて、愛宕権現の本地と称す。 地蔵にもと勝軍の号なしといへども、我国(わがくに)武を尊ぶによって、後世浮屠(ふと)[2]附託(ふたく)して、本地は勝軍地蔵也。 是をたふとべば、必軍に勝利を云ならはしける故に、武家(こと)に是を信ずることに成る。

社僧の寺を圓満寺と云。 開基の僧祐尊頼暹と号す。真言宗也。 寺産の月俸、忠之君より寄附せらる。

また鷲尾社の別当坊は鷲尾山の南の(かたわら)、竹の山に有。 東林寺と号す。 天台宗の山伏住す。

愛宕権現を勧請有しより以来、皆人愛宕山とのみ称す。 元の名・鷲尾山とは称せず。 鷲尾権現も又たふとぶべき神也。

この山上にのぼれば、海陸山川ながめ広くして勝れたる佳景也。 大国に(はずれ)たる故に遊観する人多し。

元禄14年(1701)、社の正面なる南の方に新道を作、石階を畳、ふもとに石の鳥居を立。又其後、遊人の為に、其下の大道[3]のほとりに、茶肆(さし)酒肆(しゅし)[4]を多く立ならべたり。

その後、明治初年(1868)の神仏分離令により「東林寺」は「円満寺」とともに廃寺となり当地に観音堂を残した。愛宕大権現の本地佛、勝軍地蔵尊は、この観音堂に迎えた。この勝軍地蔵尊を引き継いだのが、当社の西側の山の中腹に伽藍を構える愛宕山 観音寺である。(以上 Links① より)

門前の国道202号線は唐津街道である。

ひとくちメモ

広い境内である。 社殿のある山頂からの眺めはなかなかのものである。福岡市の西部が見渡せ、能古島・志賀島・玄界島なども見える。

頂上より一段下がった所に広い駐車場・茶店あり。車では北側の参道から登ったほうが道が広く無難。 茶店「岩井屋」の脇から坂道を登った所には愛宕山ケーブルカー跡がある。

写真

  • 拝殿
    拝殿 
  • 神殿
    神殿 
  • お願い地蔵 - 拝殿に向って左手
    お願い地蔵 - 拝殿に向って左手 
  • 喫煙所(ありがたい) - 神殿の西側
    喫煙所(ありがたい) - 神殿の西側 
  • 境内からの眺望(左右に室見川が見える) - 東に向って撮影
    境内からの眺望(左右に室見川が見える) - 東に向って撮影 
  • 境内からの眺望(左端に福岡タワーが見える) - 東北に向って撮影
    境内からの眺望(左端に福岡タワーが見える) - 東北に向って撮影 
  • 境内からの眺望(左端に志賀島が見える) - 北に向って撮影
    境内からの眺望(左端に志賀島が見える) - 北に向って撮影 
  • 境内からの眺望(右に能古島、左手に糸島半島の山々が見える) - 西に向って撮影
    境内からの眺望(右に能古島、左手に糸島半島の山々が見える) - 西に向って撮影 
  • ハト - 神殿脇の木の上
    ハト - 神殿脇の木の上 

愛宕山ケーブルカー跡

在りし日のケーブルカー - 案内板より引用
在りし日のケーブルカー - 案内板より引用 
在りし日のケーブルカー(前方を横切る線(左右の赤□を結んだ線)は旧北九州鉄道(その後筑肥線となった)と思われる) - 案内板より引用
在りし日のケーブルカー(前方を横切る線(左右の赤□を結んだ線)は旧北九州鉄道(その後筑肥線となった)と思われる) - 案内板より引用 
全景(左手が動力室跡、右手が乗降場跡)
全景(左手が動力室跡、右手が乗降場跡) 
乗降場跡
乗降場跡 
動力室跡
動力室跡 
ケーブルカー跡地(赤丸の地点、赤矢印から登れます、正面の建物は茶店「岩井屋」)
ケーブルカー跡地(赤丸の地点、赤矢印から登れます、正面の建物は茶店「岩井屋」) 

現在では「ロープウェイ」と呼ぶところだが、当時は「ケーブルカー」と呼ばれていた。

8人乗り、箱型。乗車時間2分間。 山下の乗降場は当場所からほぼ真南の明治通り沿いにあった。

昭和3年春(1928)、太宰府市在住の豪農、故西山三郎氏他数名が「愛宕索道」を創業。 その後、西山氏の家族に引き継がれた。 窓からの風景・物珍しさから多くの乗客で賑わった。

その後、太平洋戦争(1941-1945)が勃発。男性従業員が徴兵され、さらに、ワイヤーロープ・車体を供出せざるを得ない状況となり。昭和18年(1943)、やむなく、その姿を消すこととなった。

この跡地は茶店「岩井屋」に向って左手より坂道を登った所にある。 動力室・乗降場のコンクリートの基礎部分のみが残っている。 跡地は、良く整備され珍しい草木が多数植えられている。

掲示した画像を見れば、現在の明治通りから南側は当時、広大な田園風景が広がっていたことがわかる。


関連寺社(※過去に関連していた寺社も含みます。必ずしも現在関連している寺社とは限りません。)

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脚注