仏旗 大湖山 安国寺(あんこくじ) [安國禅寺・安國寺] 曹洞宗★★  ANKOKUJI ZEN TEMPLE 仁王門 飴買い幽霊の墓所坐禅 名鐘 伊藤氏参拝済

住所・電話
〒810-0001 福岡県福岡市中央区天神3丁目14-4 標高:7.1m MAP GMAP 092-741-2770
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【福岡市】天神の安国寺に伝わる飴買い幽霊の話 - 【Y氏は暇人】

歴史

案内板の内容をそのまま記す。

慶長(けいちょう)5年1600豊前(ぶぜん)から筑前の国主となった黒田長政が、 天翁全補禅師(てんおうぜんぽぜんし)のために、 豊前の安国寺を移したものである。寛永12年1635火災で消失したが、 2代藩主忠之(ただゆき)の援助で再興された。 境内には、筑前の刀工信国一家(のぶくにいっか)、伝説「飴買い幽霊」の墓がある。

伊藤氏メモ福岡寺院探訪 』によれば、当寺は第2次大戦の戦火も免れ、長い間維持されてきたが、堂宇老朽化のため、 昭和55年に新しく再建されたという。()

参考:『筑前國続風土記』

ひとくちメモ

安国寺は福岡市中央区の親不孝通りに程近いところに伽藍を構えている。 境内には、天満宮・地蔵堂・巨大な梵鐘がある。

右の『筑前名所図会』では東側から、妙蓮寺・ 安国寺・少林寺 の順で現在とほぼ同じ位置関係で描かれている。

画面右下の通りが旧唐津街道ではなかろうか?

『筑前國続風土記』に記載されている豊前中津にあったとされる安国寺についてはどこにあったか作者は分からない。 福岡県田川郡福智町の天目山 興国禅寺の前身は安国寺であるという。 ただ、この地は豊前国ではあるが、中津ではない。 今後の宿題としておこう。

梵鐘のサイズは福岡市内の寺院では最大級である。毎朝11時に鳴らされる。すごい迫力の鐘の音である。 鐘突き役の僧侶が一突き毎に梵鐘の前に膝まずきお経を唱える作法はなかなか見られない。

安国寺には飴買い幽霊の伝説がある。


写真

  • 本堂
    本堂 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 山門の仁王像
    山門の仁王像 
  • 山門の仁王像
    山門の仁王像 
  • 仁王像(拡大)
    仁王像(拡大) 
  • 仁王像(拡大)
    仁王像(拡大) 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 山門 - 境内側より撮影
    山門 - 境内側より撮影 
  • 地蔵堂
    地蔵堂 
  • 地蔵堂内部
    地蔵堂内部 
  • 天満宮
    天満宮 
  • 本堂前の梅の木の下でくつろぐ猫たち
    本堂前の梅の木の下でくつろぐ猫たち 
  • 鐘楼の柱の下でくつろぐ猫たち
    鐘楼の柱の下でくつろぐ猫たち 
  • 門前の風景
    門前の風景 
  • 梵鐘
    梵鐘 

飴買い幽霊

  • 赤ちゃんの墓?(墓碑の文字の最後が”信女”とあるので女の子か?)
    赤ちゃんの墓?(墓碑の文字の最後が”信女”とあるので女の子か?) 
  • 母親の墓
    母親の墓 

毎晩、丑三つ時(午前2時ごろ)になると飴屋の表戸をトントンとたたいて、 若い女があめを買いに来ます。

不審に思ったあめ屋がある日女の後をつけていくと、安国寺の中に消えました。 境内には新しい卒塔婆(そとば)が立っていて、地中から赤ん坊の泣き声がします。

寺の住職と墓を掘ってみると、亡くなった母親から生まれた赤ん坊がいました。 乳も出ず、死ぬに死にきれぬ母親が幽霊となり、あめで我が子を育てようとしたのでしょうか。

墓から取り出された赤ん坊も、日を経ずして亡くなりました。 寺の記録によると延宝七年(1679年)のことです。

今も安国寺の境内には「岩松院殿禅室妙悦大師」と彫られた女の墓が建っています。 その横に寄り添って、赤ん坊のものらしい小さな墓もあります。 --福岡市のホームページより引用--

  • 母子?
    母子? 


『筑前国続風土記』

巻之二の内容をほぼ原文のまま記載する。

○安国寺 曹洞宗

大湖山と號す。少林寺の東隣にあり。光明院の御宇暦應(りゃくおう)二年1339、勅に依て 、國家の安全を祈らんため、國ごとに安國寺を一所づゝ立てられ、大般若経えお轉讀せしむ。

此寺は、もと豊前中津に在りし安國寺也。長政公豊前を領したまいし時、此寺の住持を天翁と云、 (すこぶる)才力ありしにや、如水長政の對遇(たいぐう)尤あつし。 しかる故朝鮮征伐の時も陣僧となり、長政に随ひ朝鮮に在陣せり。異邦の人と筆談し書翰往復の ためなるべし。

その後長政筑前に移り給ひし時、其恩わすれがたくや思ひけん、跡をしたひて、 筑前に来りぬ。如水長政其志を感じたまひ、寺地を此地に賜り、客殿方丈かたのごとく結構して、 天翁を置たまう。其上寺産三百石寄附せらるべきよし仰ありしを、天翁謝して曰、公恩誠に感謝甚し。

然れ共沙門はもと樹下石上に坐し、一衣一鉢にして道を行する者也。然るに寺富身ゆたかなれば、 おのづかれ修行をおこたり、菩提心も捨りやすしとて、采地を堅く辭しければ、長政公仰けるは、 かく利慾をはなれ、法儀を守る所殊勝なり。然らばともかくも其望に任すべし。但軽く扶持を施し、 毎日の齋食をたすくべしとて、毎月十口の俸をたまひける。

其後正保(しょうほ)年中1645-1648に、 住持全雄狂疾おこりし時、しばらく住持なかりし故、彼毎月十口の扶持も絶てなくなりぬ。 寛永十二年十一月五日、此寺回祿の災にかゝり、長政公の建給ひし堂舎は焼失たり。 其以後忠之公より助成し給ひて、今の堂舎を再興せらる。

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