仏旗 竈門山寺跡(そうもんさんじあと) [大山寺・有智山寺・宝仲寺・宝重寺・東尾寺・塔會寺] 不詳  FORMER SOUMONSANJI TEMPLE 竈門神社 宝満山修験会入峰柴燈護摩供仙厓 伊藤氏参拝済

  • 礎石群-竈門神社ニ之鳥居脇
    礎石群-竈門神社ニ之鳥居脇 
  • 竈門神社本殿
    竈門神社本殿 
  • 竈山神社図 - 『筑前國続風土記附録』挿絵
    竈山神社図 - 『筑前國続風土記附録』挿絵 
住所
〒818-0115 福岡県太宰府市内山  MAP
イベント情報(今日から2ヶ月間)
日時内容備考
2017-05-28宝満山修験会護摩5月の最終日曜日
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歴史

はじめに、本ページの記事のタネはほぼ全面的に『宝満山歴史散歩 』に依存している。 閲覧者の方々にはご一読をおすすめする。 以下に作者が同書の内容を簡単にまとめてみた。

竈門山寺が歴史に登場するのは、延暦22年802、伝教大師入唐求法の安全を願って、 竈門山寺跡において薬師仏4体を彫ったことを初見とする。 竈門山寺跡は竈門神社下宮の二之鳥居脇の礎石がある場所と伝えられている。

しかし、最近の発掘調査の結果、宝満山のあちこちで8世紀の瓦などが出土しており 神社の創建とほぼ同時に寺院が建てられたもののようである。 平安時代末から鎌倉時代にかけては、内山・南谷・北谷に370の坊舎があり、そのうち300坊は学問を専らにした衆徒方(しゅうとがた)、 70坊は修行を専らにした行者方という。

戦国期に入り、戦乱に巻き込まれ次第に衰退に向かう。 当時の僧侶(山伏)は戦いとなるとその兵力にもされ、当然その僧坊も陣屋とされたようである。

戦国末期、秀吉による三層の高楼の寄進。 江戸期に入り、黒田藩の加護などで復興された。 江戸期には、博多聖福寺仙厓和尚承天寺の龍門和尚、 崇福寺曇栄(どんねい)和尚など この山でたびたび修行をしたという。

明治期に入り、政府の廃仏令により、全山に展開されていた建物・石仏・巨岩に刻まれた仏教系の書・画像などは ことごとく打ち壊された。

昭和57年宝満山修験会[1]が、竈門神社・旧山伏の子孫・宝満山を修行の場としている修験者たちにより結成される。 以来、毎年5月の第2日曜日に入峰。最終日曜日には竈門神社下宮において護摩が焚かれる。

ひとくちメモ

宝満山歴史散歩 』は2014年正月に福岡市図書館でたまたま目にし、借りて読み始めた。 すごい歴史をもったお寺である。

作者は、40年ほど前に宝満登山をしただけでそれ以来この山には入っていない。 このたび、竈門神社初参拝。 竈門山寺跡の礎石・六所宝塔跡の撮影をしてきた。

山中には、寺の遺構が巨岩・奇岩とあわせて山ほどあるようである。 これから数年は、この山も作者の重大テーマとしてチャレンジしてみようと思う。 60才を越え、足腰も多少自信がないが、どうなることやら。(苦笑)

写真

  • 宝満山 修験道復興之碑(表)
    宝満山 修験道復興之碑(表) 
  • 宝満山 修験道復興之碑(裏)
    宝満山 修験道復興之碑(裏) 
  • 宝満山 修験道復興之碑(裏・拡大)
    宝満山 修験道復興之碑(裏・拡大) 
  • 礎石群-修験道復興之碑上より撮影
    礎石群-修験道復興之碑上より撮影 


竈門神社の写真

  • 竈門神社社務所の裏手からの太宰府市街の眺望
    竈門神社社務所の裏手からの太宰府市街の眺望 
  • 竈門神社本殿
    竈門神社本殿 
  • 竈門神社本殿に掲げられた天狗の面
    竈門神社本殿に掲げられた天狗の面 
  • 竈門神社一之鳥居
    竈門神社一之鳥居 

六所宝塔跡

未稿

六所宝塔跡の写真

  • 入口
    入口 
  • 礎石群
    礎石群 
  • 宝満山頂
    宝満山頂 
  • 六所宝塔のミニチュア
    六所宝塔のミニチュア