仏旗 横岳山 崇福寺別院(そうふくじべついん) 臨済宗大徳寺派  SOUFUKUJI-BETSUIN ZEN TEMPLE 伊藤氏参拝済

  • 本堂
    本堂 
  • 太宰府横嶽山諸伽藍図(元和4(1618)- 法堂跡の案内板右の図
    太宰府横嶽山諸伽藍図(元和4(1618)- 法堂跡の案内板右の図 
  • 横岳 - 『筑前國属風土記付録』挿絵
    横岳 - 『筑前國属風土記付録』挿絵 
住所・電話
〒818-0102 福岡県太宰府市白川25-2 標高:70.4m MAP GMAP 092-922-4880
検索
同地区同宗派寺院  4km以内

周辺地図

歴史

筑前國続風土記』によれば天正年中1573-1592に兵火にかかりほぼ全滅状態であったようである。 近年、仏殿、開山堂、禅堂、侍物寮、書院、山門、中門等が 大宰府別院として再興されたことが博多崇福寺の案内板に記載されている。

崇福寺別院山門脇の案内板の内容をそのまま引用する。

崇福寺塔頭跡(そうふくじたっちゅうあと)

臨済宗の寺院である横岳山崇福寺は現在の博多区千代の地所に伽藍を構える 以前には、 太宰府市の北、四王寺山裾の横岳にあった。 聖一国師(円爾弁円(えんじべんねん))が仁治2年1241に開堂式を行い、 後に文永9年1272大應国師(だいおうこくし)南浦紹明(なんぽしょうみょう))によって開山されたとされる崇福寺別院とはここのことである。

昭和46年1971秋に、 中心伽藍の東の谷のこの地において崇福寺別院の庫裏が建設されるのに伴い発掘調査がなされ、 崇福寺の塔頭(たっちゅう)跡(寺を構成する施設) である「瑞雲庵」と推定される2棟の礎石建物が発見された。 一つの建物は開山塔(無縫塔(むほうとう))を正面に眺める位置で検出され、 昭堂(しょうどう)または開山堂としての機能が考えられる。建物には瓦が葺かれていた。

また、この南側の谷が宅地開発されるのに伴い平成10年1998に調査され、 谷を盛り土整地して建てられた2棟の東西に長い掘立柱(ほったてばしら)建物、 その東に隣接する丘陵部で石塔群が発見され、 写経石などの遺物が出土した。

この谷奥の右手にある開山塔は大應国師の分骨塔として継承され、 国内の同型式の典型資料として貴重なもので昭和35年19601月12日に県の文化財に指定されている。

参考:横岳崇福寺跡について(瑞雲寺山門傍の案内板より)、『筑前國続風土記拾遺』

ひとくちメモ

崇福寺別院は四王寺山の南側の麓に伽藍を構えている。『筑前國続風土記』や手元の資料によれば、 かなりの寺域の広さのようで、法堂跡などの遺跡が点在している。準備不足であまり取材の時間がとれなかった。

また、お参りに行った時は山門が閉められており、本堂のお参りができなかった。写真はいずれも境外から撮影したものである。 次回は山門が開いている時期を見計らってお参りしようと思う。


写真

  • 山門
    山門 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 開山塔(大應国師の分骨塔)
    開山塔(大應国師の分骨塔) 
  • 開山塔へ通じる坂道(坂道中本堂をはさんだところにある)
    開山塔へ通じる坂道(坂道中本堂をはさんだところにある) 

法堂跡

  • 全景
    全景 

法堂跡は崇福寺別院の西約200mほどの高台の住宅地の中にある。ただ、「崇福寺法堂跡」と記された石塔と、石仏1体それと説明板があるのみである。

説明板によれば、昭和42年の発掘調査により、この地に寺の中心建物があった礎石建の法堂(または仏殿) と僧堂がL字型に配された形状で確認され、 上層のものは出土した瓦類などから室町時代前期に比定され、下層は鎌倉時代後期に遡る可能性があるとのことである。


横岳崇福寺跡について

伊藤氏メモ仁治元年1240随乗房湛慧(ずいじょうぼうたんえ)が建立した寺であるが、その後、入宋僧聖一国師(円爾弁円)や大応国師等の名僧が住し、寺の規模を広げていった。

後に鎌倉建長寺に住し鎌倉幕府に影響の強かった大応国師南浦紹明(なんぽじょうみょう))は、この寺に居ること30余年にわたっている。

筑前の守護であった武藤少弐氏の後援により、元寇の役の前後にあった九州の政治文化に影響力の強い寺院に成長していった。その後、天正14年1586島津氏の大宰府岩屋城攻めの際、類焼に遭い全伽藍を失った。

大応国師の弟子達はその後、連綿とその教えを継ぎ、日本の禅宗の中心になった大応派を形成して禅宗の発展を支え、中国の寺院との関係から貿易にも深く関わりを持ち、中でも横岳派と呼ばれた崇福寺を本拠とする一派は博多や堺での貿易に大きな影響力を持っていた。

この地は現在では昭和になって復興された瑞雲寺が管理している。敷地内に室町時代のものとされる石塔群曲水式の庭園など貴重な遺構が残されている。中世のこの場所を復元的に記した『大宰府横岳山諸伽藍図(江戸前期成立)』には「勝禅院」「又東軒」などの記載がある。また、この場所は、山内に展開した塔頭があった場所であり、江戸時代には寺地を守るため勝禅寺が置かれていた場所でもある。

この一帯は昭和35年1960に県の史跡に指定されている。ここから左手の観世団地内には寺の中心施設である推定法堂(一説には宝殿)跡があり、東側の丘陵裾には別院横岳崇福寺と大応国師を祀った開山塔(別名:瑞雲塔)が見られ、往時は大規模な寺院であったことを知ることができる。

瑞雲寺山門傍の案内板より)()

『筑前國続風土記』巻乃8 ○横岳山崇福寺

此寺の跡安楽寺[1]の西北にあり。則宰府村の境内なり。 思ひ川をへだつ。

むかし此寺横岳(よこだけ)の下にありし故、山号を横岳山(わうがくさん)と いふ。(崇福寺の事、那珂郡の所に詳にしるす。)

四条院仁治元年1240湛慧(たんえい)といふ僧始て此寺を立。 其後湛慧、大應国師南浦明和尚を請じて、此寺の開山とす。 南浦は經山虚堂(きんざんきょだう)嗣法(しはう)せり。

其寺天正年中1573-1592兵燹(へいせん)にかゝりて再興する人なし。 長政公の時、春屋和尚のすゝめに依りて、箱崎松原にうつさる。

此所に方丈、法堂、佛殿などの礎の石猶存せり。いにしへは、さばかりの大寺 にて、南に向ひて諸堂をたつ。僧坊甚多かりしといふ。

霊勝院 長松軒 欄玉軒 雲谷軒

雲花庵 椎風軒 逢春軒 雲松軒

昆廬庵 正瑞庵 心宗庵 大中庵

勝禪庵 三友庵 向陽庵 正傳庵

大聖庵 叉東庵 正洞庵 耕閑庵

大成庵 正卯庵

叉八景あり。

飛瀑岩(瀑布今も有。)

此君亭(竹林少今も残れり。)

圓通閤

甘露井(今も古井有。)

覆陰藤

瑞雲庵

白蓮池(今も纔にのこれり。)

長松嶺(寺の西なる松山をいふ。)

[1]安楽寺:現太宰府天満宮別当寺で神仏分離令により廃寺となる。


関連寺院(※過去に関連していた寺院も含みます。必ずしも現在関連している寺院とは限りません。)