heritage 神護霊厳山 光明寺(こうみょうじ) [光明禅寺・苔寺] 臨済宗東福寺派 ★☆☆ 紅葉 鉄牛円心 仏光石庭 一滴海の庭 キンモクセイ 伊藤氏参拝済 筑前国中三十三観音霊場第32番札所 筑紫四国八十八カ所霊場第11番札所

住所・電話
〒818-0117 福岡県太宰府市宰府2丁目16-1   標高:57.2m 地図 GMAP 092-922-4053 
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歴史

伊藤氏メモ光明寺の開山は博多承天寺住職の鉄牛円心和尚、開創は文永10年(1273)。 「渡唐天神説話」とは、横岳の崇福寺に滞在した聖一国師の夢の中に天神様(菅原道真)が現れて禅の教えについて問われたので、国師が自分の師、径山(中国杭州にある南宋五山の筆頭・万寿禅寺のこと)の佛鑑禅師(無準師範)を紹介すると、その後天神様は印可の証の法衣を授かって帰って来たという。 その法衣こと「伝衣(でんね)」を安置するために大宰府の霊岩の横に一寺を建立したのが光明寺の始まりと伝えられる。 確かに寺の西側に今も伝衣塔が残っており、由縁を記した案内板が立っている。鉄牛円心和尚は菅原氏の出身で、聖一国師の弟子であり、承天寺の第3世住職である。

光明寺本尊の木造釈迦如来像は平安から鎌倉期の作。 明治初期(1868)の神仏分離令で廃寺となった天満宮安楽寺から薬師如来ほか主要な仏像が光明寺に移ってきた。 木造十一面観世音菩薩も祀られている。この観音様が筑前国中三十三観音霊場32番札所のご本尊様であろうか。 坐像で応永19年(1412)の銘がある。他の寺宝に「牛車天神図」がある。牛車に乗って大宰府に下る菅原道真公を描いた画で、賛に天文14年(1545)、画家は関州舜圃とある。

光明寺の山門の前に藍染川と書かれた石碑があるが、川らしきものは無くて溝だけである。 近年、九州国立博物館が出来て、このあたりまで整備されて散策路となり、川の上をしゃれた舗装道路が覆ったからである。 光明寺前の散策路を100mほど下ると、伝衣塔と昔の姿の藍染川が少しだけ見えるように残されている。 この小川が愛染川とか染川と言い『筑前国続風土記』にも名前が残る古い川で、御笠川に流れ込む支流の一つという。この川が平安の昔から和歌に詠まれたり、謡曲「藍染川」など、実際よりも文学上で有名な川である。今も国文学関係の研究者が時折訪ねてくるという。(Links① より)()

参考:筑前國続風土記拾遺

ひとくちメモ

光明寺は太宰府天満宮の参道を少しそれたところに伽藍を構えている。裏庭・表庭とも見事である。 初夏は裏庭の苔と木々の緑が美しい。秋の紅葉の時期もよい。

有料であるが本堂内・裏庭の拝観可能。写真撮影も可能である。(但し一言断ってからのほうが良いし、フラッシュは遠慮すべき。)

写真

  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 裏庭「一滴海の庭」
    裏庭「一滴海の庭」 
  • 山門
    山門 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 境内の地蔵菩薩像 - よいお顔をしている
    境内の地蔵菩薩像 - よいお顔をしている 
  • 本堂内 - 中央が本尊「木造渡唐天神坐像」
    本堂内 - 中央が本尊「木造渡唐天神坐像」 
  • 本堂の回廊 -右手が裏庭
    本堂の回廊 -右手が裏庭 
  • 全景
    全景 

紅葉

  • 山門前
    山門前 
  • 山門
    山門 
  • 参道
    参道 
  • 参道
    参道 

表庭

表庭
表庭 
表庭
表庭 
表庭
表庭 
表庭
表庭 

寺前の太宰府市の案内板によると、前庭は「仏光石庭」といい、七.五.三の15石で光の字に配石された九州随一の石庭で、 裏庭は「一滴海の庭」といい、青苔(大陸と島を表す)と白砂(水と大海を表す)で構成されている枯山水の庭であるとのことである。


伝衣塔

伝衣塔
伝衣塔 
大師堂(左)と伝衣塔(右)
大師堂(左)と伝衣塔(右) 
大師堂
大師堂 
大師堂内
大師堂内 
梅壺侍従蘇生碑
梅壺侍従蘇生碑 
藍染川 - 前方は光明寺境内
藍染川 - 前方は光明寺境内 
千八稲荷社
千八稲荷社 

伝衣塔は、光明寺の門前の道を100m程西側に下った所にある。 自然石でできた石橋を渡って藍染川を渡ると境内である。 石橋を渡ってすぐ左手には梅壺侍従蘇生碑(うめつぼじゅうじそせいひ)があり。 境内一番奥に伝衣塔があり、向かって左手に大師堂・右手に千八稲荷社が鎮座している。 伝衣塔・梅壺侍従蘇生碑の案内板の内容を下に記す。

伝衣塔

鎌倉時代のこと、題材府横岳(よこたけ)崇福寺にいた聖一国師(しょういちこくし)の夢枕に 菅神(かんしん)(菅原道真公)が現れ禅の教えを問うた。 そこで国師が宋(中国)の仏鑑(ぶつかん)禅師を紹介したところ、菅神は一夜のうちに宋に渡り、 (たちま)ちに悟りを開いて戻って来られたという。 渡宋天神(とそうてんじん)の話であるが悟りの証にもらった法衣を聖一国師の弟子の鉄牛円心和尚(てつぎゅうえんしんおしょう)が納めて建てた塔が伝衣塔であり、その時創建された寺が光明禅寺と伝えられる。

太宰府市

藍染川と梅壺侍従蘇生碑

この藍染川は平安時代「伊勢物語」など多くの和歌に詠まれ、謡曲「藍染川」の舞台とまったところで、次のよいうな恋愛悲話が残っています。

「むかし、天満宮の社人、中務頼澄(なかつかさよりずみ)が京に上った時、 梅壺という天皇のお傍近くにつかえる女性と恋仲になり、 梅千代という男の子が生まれました。 やがて頼澄は筑紫に戻ってしまいました。 月日が経って、梅壺は成長した我が子を父に逢わせようと太宰府まで来ましたが、 頼澄の妻は、夫に会わせまいと梅壺母子を追い返そうとしました。 悲嘆した梅壺は藍染川に身を投げ死んでしまいます。 それを知った頼澄が梅壺の蘇生を天神様に祈ったところ梅壺は生き返りました。」という物語です。

現在の藍染川は川幅1m前後。小川である。 当時は梅壺が飛び込んで死んでしまうくらいであるからかなりの川幅・水量があったものと思われる。


筑前國続風土記拾遺』巻之16 御笠郡 ニ 宰府村の項

西都図(右端に光明寺が描かれている) - 『筑前國続風土記附録』挿絵
西都図(右端に光明寺が描かれている) - 『筑前國続風土記附録』挿絵 

光明寺

聖廟の南邉に在。神護山と号す。 禪宗済下承天寺に属す。 當社緇素(しそ)[1]の輩の菩提寺なり。 寺産6石神領の内を領す。

開山を鐵牛圓心和尚といふ。 俗姓は菅原氏、母は弁君(猿楽の藍染め川という謡には梅局の侍従とあり。) 法名を如海大姉といふ。 和尚は建長6年(甲)(寅)(1254)9月()當所の霊岩の左邉に誕す。 (霊岩の事下に見えたり。) 剃髪して聖一國師の弟子となり、會裡傑出第一法嗣也。 嘉暦元年(丙)(寅)(1326)9月24日寂す。 後亀山院文永8年(辛)(未)(1270)10月15日 菅神[2]承天寺(崇福寺)丈室裡()[3]に現し給ひて 徑山 [4]の傅衣を以て和尚に告て是を安借せしめらる。 (徑山無準の伽梨[5]を 管神に捧られし事管神授衣の記また兩聖傅などに見えたり。 其説怪誕なれといへとも、中世より普く傅ふる事なれは(いささか)こ丶にしるす。) ときに和尚承天寺(崇福寺)に主たり。 即同月25日當寺を建て尊神の付與(ふよ)し給ひし伽梨を蔵めて衣塔を造る。 其後文永10年(癸)(酉)(1272)尊神夢裡の告によりて山を霊岩神護と名つけ光明寺といふ。

寺に西の山岸に大(いわ)の重畳したると所あり。 これを霊岩といふ。其前に石の塔あり。傅衣の塔といふ。 授衣記曰「霊岩。俗云岩崎。即尊神第一ノ眷属(けんぞく)[6]御霊大明神之廟所也。 鐵牛心和尚誕生の霊地也。」と見えたり。

寺内に渡宋天神社あり。又開山堂に徑山無準和尚の像、鐵牛和尚像(共長貳尺斗の木像)あり。 東の側に龍光院[7]殿牌及國君世々の霊牌を安置す。 是は龍光院公當社の凌遅(りょうち)を再興し給ひ世々の君矦相継て御恩徳の渥きに感歎して一社の輩私に霊牌を安置して 毎月拜謝の禮を勤ること今に怠らすといふ。

寺前の小川は即染川なり。 むかしハ岩蹈(いわふみ)川の(みなまた)神廟の西の傍を流れこ丶に来りて此渓水に會せり。 其時爰に淵あり。 鐵牛の母堂辨君身を投られし所といふ。 岩蹈川の脈埋りてよりいまはいさ丶かなる流れとなれり。 川の中に高3尺余斗の野石面に梵字を彫たるたてり。 是如海大姉の塔なりといふ。 か丶れは當所ハ彼人の身を投られし淵のあとなるによりて石を立て標とせしなるへし。 辨君のこと當所のいひ傅にも詳ならすして區々なり。

猿楽の謡藍染川といふに作れるは、當社の神主中務頼澄といひし人在京せし時に梅壺の侍従といふ女房に馴て梅千代といへる一人の子あり。 其後頼澄筑紫に帰る時に、かの女房と梅千代とは一條今出川なる宅に残し置き、年月を経るまにまに音信もなく踈々しかりしかは、 かの女房梅千代をたずさへ其父を尋て遥々宰府に下りつるを、嫡妻の嫉妬によりて父か命と偽り京へ追いかへしけり。 此女房いたく歎き恨て藍染川に見を投、空しくなりしよしいへり。 菅原氏系圖(けいず)(しらべる)頼濟(よりすみ)といふ人なし。 但し管神12世の孫唐橋家の祖に文章博士良頼卿の息に頼澄(よりすみ)といふ人あり。 されども此人は出家のよしなり。 若ははしめ聖廟の祀官にして後に剃髪せられしにや。時代は大かたあひたり。 (父の良頼卿は後深草院の侍讀なり。授衣記に建長6年鐵牛和尚誕生すといへり。 建長は後深草院の御字の年号なり。)いまた是非をしらす。

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