仏旗 戒壇院(かいだんいん) 臨済宗妙心寺派★★★  KAIDAN-IN ZEN TEMPLE 田園風景坐禅 写経 菩提樹 太宰府天満宮 九州国立博物館 伊藤氏参拝済

  • 参道入口 - 正面が戒壇院
    参道入口 - 正面が戒壇院 
  • 本堂
    本堂 
  • 観世音寺・戒壇院・榎寺(右下に榎寺、右上に戒壇院・観世音寺が描かれている) - 	『筑前國続風土記附録』挿絵
    観世音寺・戒壇院・榎寺(右下に榎寺、右上に戒壇院・観世音寺が描かれている) - 『筑前國続風土記附録』挿絵 
住所・電話
〒818-0101 福岡県太宰府市観世音寺5丁目7-10  MAP 092-922-4559
周辺の寺院
同地区同宗派検索  4km以内の寺院検索
ホームページ
太宰府 戒壇院 公式ホームページ

歴史

参道前の説明板の内容をそのまま記す。

戒壇院は「天下の三戒壇」の一つとして天平宝字5年761筑紫観世音寺境内の西南角に設置された。 唐僧鑑真(がんじん)は5度渡航に失敗し、身は盲目となりながらわが国に戒律を伝え、天平勝宝6年754奈良東大寺に戒壇を設けた。 ここ西戒壇は、下野(しもつけ)薬師寺の東戒壇 と同年に創設され、九州の僧侶たちの登壇受戒の道場として継承されてきた。

江戸時代、寛文年間1661-1672より黒田藩家臣鎌田昌勝、豪商浦了無(うらりょうむ)等によって再興が続けられ、現在に伝わる開山鑑真和尚像、本尊脇侍(わきじ)、梵鐘なども新造された。 元禄16年1703藩命によって博多禅宗四ヶ寺の管理となり、観世音寺を離れ、現在は 博多聖福寺の末寺となっている。 なお本尊廬舎那仏(るしゃなぶつ)は平安時代の作で国の重要文化財に指定されている。

'95 太宰府市


ひとくちメモ

江戸期は、仏教各派は武家の寺請(てらうけ)制度・軍事上の施設としての強制利用など民衆支配の手段として 良いように利用されていた。 戒壇院の所属が観世音寺から聖福寺に変更されたのは上記のような理由であったのかもしれない。

九州歴史資料館の『筑前 太宰府 戒壇院』(九州の寺社シリーズ13)に上の大きな理由は禅宗・律宗・天台宗・真言宗の宗派間のもめごとであったとの記述がある。 近々その内容を記載するつもりである。

写真

  • 山門
    山門 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 全景
    全景 
  • 観世音寺側の山門
    観世音寺側の山門 
  • 観世音寺側の山門の扁額
    観世音寺側の山門の扁額 
  • 本堂 - 向かって右手より撮影
    本堂 - 向かって右手より撮影 
  • 須弥壇(中央:木造盧舎那仏像-藤原期、右:木造文殊菩薩-江戸期、左:木造弥勒菩薩-江戸期) - 本堂内
    須弥壇(中央:木造盧舎那仏像-藤原期、右:木造文殊菩薩-江戸期、左:木造弥勒菩薩-江戸期) - 本堂内 
  • 山門脇の石柱(不許葷酒肉入境内=葷酒肉境内に入るべからず) - 元は一本の柱であったようである。
    山門脇の石柱(不許葷酒肉入境内=葷酒肉境内に入るべからず) - 元は一本の柱であったようである。 
  • 鐘楼
    鐘楼 
  • 地蔵堂(地蔵菩薩立像は元禄11年の銘があるとのこと) - 向かって左側
    地蔵堂(地蔵菩薩立像は元禄11年の銘があるとのこと) - 向かって左側 
  • 地蔵堂内部
    地蔵堂内部 
  • 菩提樹 -(伝)鑑真が中国より請来した。
    菩提樹 -(伝)鑑真が中国より請来した。 
  • 境内風景 - 本堂向って右手のミニ石仏
    境内風景 - 本堂向って右手のミニ石仏 


関連寺院(※過去に関連していた寺院も含みます。必ずしも現在関連している寺院とは限りません。)