旭地蔵尊
臨済宗大徳寺派
☆☆☆
伊藤氏参拝済
歴史
伊藤氏メモ堂内の解説板の内容を記します。
この堂宇は横岳崇福寺を創建した随乗坊湛慧禅師の墓と伝えられている。『筑前国続風土記』に「この地谷間にありていと閑寂なる境区なり。湛慧の墓は横岳に行く道の傍にあり、此所入定(僧が亡くなること)の地なる故に石塔を立てそのしるしとする。」とあり、土地の人に語り継がれてきた。
湛慧は僧の身分でありながら神事の鬼燻べの鬼にされ、人前で酷い目にあわされ、深く心を痛められふさぎがちであった。思いつめた湛慧は朝日山東の麓に横穴を掘り、其の中にて一心不乱に経を唱え、打ち鳴らす鐘の音が穴の中より聞こえていたが、或る日旭の日の出とともに読経も鐘の音も途絶え、湛慧は座ったまま大往生息絶えた。
土地の人々は手厚くここに葬り石塔を建てて供養した。後に地蔵を祀り、山の名前朝日山にちなみ朝日、又は日の出の旭をとり旭地蔵として、信仰厚く現在に至る。
黒田長政が筑前に入国し兵火にて亡くなった崇福寺を千代の松原(福岡市)に再興した。そのときに、ここの地蔵様の分霊を境内に勧請して祀った。これが博多崇福寺の旭地蔵尊である。()
ひとくちメモ
戒壇院・観世音寺にお参りして、その後この地蔵尊の前を通り崇福寺別院にお参りする途中で何度もこのお堂の前を通った。 今までは縁なくお参りできないでいた。 このたび()初めてのお参りとなった。
表から見ると赤色を基調とした提灯が提げられ、賑わい感がある。 堂中は地元の方々の手入れがよく行き届いている。
写真
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