求菩提山
国玉神社
[護国寺跡]
神仏習合
歴史
近世の求菩提山文書によると、継体天皇20年(526)の猛覚魔ト仙による開山、 大宝4年(704)の役行者の入山、 養老4年(720)の行善による求菩提山護国寺の建立という古い歴史を持つ。
12世紀中頃(平安時代末期)に入って、求菩提山は宇佐郡出身の天台宗の僧・頼厳によって再興。 爾来、「一山五百坊」と言われ、天台宗求菩提山護国寺を中心に多くの山伏(修験者)たちが山内に住み、 厳しい修行に挑み、英彦山と共に北部九州修験道の中心を担うことになる。 明治元年(1868)の神仏分離令、さらには明治5年(1872)の修験道廃止令によって、求菩提修験道は終焉することになる。
求菩提山中には構の石門、 座主館跡、 みそぎ場、坊跡、 安浄寺跡、 三十三観音石像、 獅子の口、 護国寺跡(国玉神社中宮)、 鬼の石段、 上宮、 磐座、 護摩場跡、 五窟、 氷室、 愛宕社、 玄冲塚、 杖とり仏等々の遺構が残っているという。 また、求菩提資料館の東側の山中には、不動窟と呼ばれる山伏たちの修行窟や火追窟、弁財天窟等々多数の洞窟を見ることができるという。 さらに、求菩提山から6km余下った処には、岩洞窟と呼ばれる窟が大きく口をあけ、その天井には飛天とも見られる岩壁画が描かれている。
求菩提山山頂より東方に9kmほど下った所には如法寺が伽藍を構えている。 国玉神社の写経場と求菩提山の鬼門封じの役割を果たしていた。(以上 Links① より)
ひとくちメモ
Links② に求菩提山案内図が掲示されている。各霊地の画像などを混じえて丁寧な解説がされている。 参拝されるときには役立つものと思われる。
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