遍照山摂取院
光明寺
浄土宗
☆☆☆
聖光上人
歴史
境内の案内板の内容を下に記す。
光明寺
この寺は、1300年ほど前に高田大納言藤原光明により、 その夫人の菩提を弔うため荘園の館を寺として開基されたと伝えられています。
その後戦乱等で荒廃したが、750年前、 浄土宗鎮西派2世鎮西上人が念仏弘法のため、 筑後の善導寺に赴く途中立ち寄った縁で、 同上人により再興されました。
また、この時、荒れ果てたお堂で上人が休憩していたところ、 見かけた者が柴を手折って敷物として捧げました。 このことを喜び、 この者に「手柴」の姓を授けたという伝承もあります。
平成21年3月 筑前町教育委員会
参考:『筑前國続風土記附録』
ひとくちメモ
お寺の周辺はのどかな田園地帯となっている。 年歴を感じる山門をくぐり境内に入ると、観音堂と石仏・石塔などが見られる。
本堂の雨戸は閉ざされており、庫裏は表から見ても人が生活しているようには見えない。 近在の方に伺うと、住職が数年前に亡くなったという。 1300年もの歴史を持つお寺の由。後継者が出来、一日も早い再興がなることを祈るばかりである。
写真
筑前國続風土記附録
『筑前國続風土記附録』巻之14 夜須郡 中 高田村の項に下記の記事がみられる。
光明寺(浄土宗 佛堂3間3間)
遍照山攝取院と號す。 筑後善導寺に属せり。 元禄12年(1699)信譽義順といふ僧開基せり。 義順ハ下総國の産也と云。
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