heritage 源光山 浄満寺(じょうまんじ) 浄土真宗本願寺派 ☆☆☆ 伊藤氏参拝済

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〒838-0211 福岡県朝倉郡筑前町下高場2223   標高:31.5m 地図 GMAP 0946-42-2238 
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歴史

境内の案内板の内容を下に記す。

浄満寺

浄土真宗本願寺派で源光山浄満寺という。

天正(1573-1593)の頃、 秋月種実(あきづきたねざね)の家臣板並左京(いたなみさきょう)の二男で出家して名を浄安(じょうあん)と号し、 この地に開基した。 その後、4代の光吟(こうぎん)の時、 火災に遭い宝物や古記録を焼失している。

延宝8年(1680)、 筑後国竹野郡の菊池祐惠(きくちうけい)が甘木の光照寺の末寺として再興し、 翌年に本堂を改築した。

現在の本堂は平成8年に再建したものである。

平成24年(2012)3月 筑前町教育委員会

参考:『夜須町史(平成3年)』『筑前國続風土記附録』

ひとくちメモ

浄満寺は下高場の集落の一画に伽藍を構えている。 城北幼稚園が併設されており、境内には多数の遊具がみられる。 山門の表札板は浮彫で、なかなか凝った造りをしている。

伊藤氏メモ山門両脇に、寺院名と幼稚園名が両記や、境内に幼稚園遊具が配置など、まさに寺院と幼稚園が一体となっています。()

写真

  • 本堂
    本堂 
  • 境内風景(遊具が見られる)
    境内風景(遊具が見られる) 
  • 門前の風景
    門前の風景 
  • 喚鐘
    喚鐘 

『夜須町史』

伊藤氏メモ往古は天台宗にして長谷山浄満寺と称せしも、天正10年(1582)寂空のときに現在地に至り開基する。その後4代光吟のとき、火災により宝物・古記録等一切を焼失した。

その後、有馬公の影響で一時大谷派に属したこともあったが、8代の明暦3年(1657)西本願寺(浄土真宗本願寺派)に復帰した。延宝9年/天和元年(1681)本堂を再建した。(『夜須町史(平成3年)』より) ()

『筑前國続風土記附録』

『筑前國続風土記附録』巻之14 夜須郡 中 下高場村の項に下記の記事がみられる。

浄満寺(真宗 佛堂4間4面)

源光山と號す。 甘木村光照寺に属せり。 坐もとなり。

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