真福山
浄満寺
浄土真宗本願寺派
☆☆☆
歴史
『筑前國続風土記拾遺』巻之21 上座郡(上) 小石原村の項に下記の記事がみられる。
浄満寺
町に在。真宗西本願寺の末也。 此寺もと筑後國吉井駅に在しを、 明歴年中(1655-1657)かの國久留米の領主より真宗西派を除て東派に附らる。 其時従事其旨を肯ハず筑前に来り[1]寛文12年(1672)一寺を此駅に建。 志摩郡井田原村に在し廃寺の号を取て法名寺と云しを、又後に舊号に復して浄満寺と云。 元禄5年(1692)霊源公[2]より開田2段3畝15歩を寄付し給ふ。 又宝永元年(1704)宿平に在し観音の像を此寺に預け給ふ。 盗難を恐るが故なりと云。
ひとくちメモ
国道211号線と国道500号線の交差する地点に伽藍を構えている。 その東南側には小石原焼の窯元が多数ある。
楼門は風雪に耐えて歴史を感じるものとなっている。 境内には、「公儀御領 境目観音堂」と記された扁額の掲げられたお堂がある。 扉越しに内部を覗くと、ご本尊は厨子に収められており拝むことはできなかった。 この観音様が上の『拾遺』に記載されている「宿平に在し観音」かどうかは未確認である。 この扁額の文字通り、この地は江戸期は筑前国と豊前国の境界であった。 「公儀御領」とは天領日田のことであろう。
浄満寺の西側の斜面にはお堂が見える。何が祀られているのか作者の気になる所である。 ヘビのいない時期に登ってみようと思う。