仏旗 朝日薬師堂(あさひやくしどう) [日照寺跡] 不詳  ASAHI-YAKUSHI-DOU 伝教七薬師第5番

  • 本尊 薬師如来(桃山時代末期作)
    本尊 薬師如来(桃山時代末期作) 
  • 薬師堂
    薬師堂 
  • 遠景(手前は麦畑) - 県道386号線
    遠景(手前は麦畑) - 県道386号線 
住所
〒838-0227 福岡県朝倉郡筑前町朝日692 標高:31.8m MAP GMAP
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歴史

『筑前國続風土記』巻之10 夜須郡 朝日村の項に下記の記事がある。

村中に朝日山日照寺と云寺跡あり。本尊は薬師佛也。 是傳教大師竃門山にて作られし7佛の1なり。 今は寺もなく、本尊もうせぬ。(後略)

『筑前國続風土記附録』巻之13 夜須郡 上 朝日村の項に下記の記事がある。

日照寺跡

古へハ朝日山日照寺と號せり。本編に見ゆ。その跡ハ圃となる。又此邉に薬師堂あり。

当薬師堂は上の記事の朝日山日照寺の遺構と思われる。

御堂に2枚の説明文が掲示されている。それによれば、 日照寺は「平安時代794-1185後期から鎌倉時代1185-1333前期にかけて最も繁栄したものと考えられる。当時は夜須4郷きっての威容を誇ったようである。当時の規模は国道386号線を、またぐ高台に広がる寺院でそれはもう壮大な広さであったと考えられる。」とある。

現在、御堂に安置されている薬師仏[1]は桃山時代末期1573-1603の作のものという。 また、同説明文に薬師仏の寸法が記載されている。「像高 159.5cm、頂上〜顎 62cm、面張 32cm 肘張 89.6cm 膝張 114cm 膝奥 75cm」。

ひとくちメモ

薬師堂は県道386号線の脇にある。朱色の石橋を渡って境内に入る。 正面に「大行事」[2]と記された大きな石碑。さらに進むと孝子「弥四郎」の碑がある。 その先が薬師堂だ。 薬師堂に向かって右手には小堂が2宇ある。  周辺は麦畑。門前には山家川が流れている。

薬師堂は本来は木造の建物。それが鉄骨の柱の覆屋で保護されている。 薬師堂の扉は施錠されており、格子戸越しの参拝となった。 久しぶりに歴史ある大きな薬師仏を拝めた。 脇侍の日光・月光菩薩、十二神将も揃っている。 保存状態も良好。

県道386号線は自動車がかなりの速度で往来し、歩道も無い為歩行時は要注意。


写真

  • 薬師堂(鉄骨製の覆屋で保護されている)
    薬師堂(鉄骨製の覆屋で保護されている) 
  • 薬師堂脇の小堂(2宇)
    薬師堂脇の小堂(2宇) 
  • 薬師堂脇の小堂内
    薬師堂脇の小堂内 
  • 薬師堂脇の小堂内
    薬師堂脇の小堂内 
  • 境内風景 - 薬師堂を背にして撮影
    境内風景 - 薬師堂を背にして撮影 
  • 「大行事」の石碑
    「大行事」の石碑 
  • 「大行事」の石碑(拡大)
    「大行事」の石碑(拡大) 
  • 「大行事」の石碑(裏面、「天明2壬寅(1782)8月 朝日村中」銘)
    「大行事」の石碑(裏面、「天明2壬寅(1782)8月 朝日村中」銘) 
  • 地蔵菩薩像(浮き彫り)
    地蔵菩薩像(浮き彫り) 
  • 地蔵菩薩像の側面(文字の判読不可)
    地蔵菩薩像の側面(文字の判読不可) 
  • 境内入口(朱色に石橋を渡って境内に入る)
    境内入口(朱色に石橋を渡って境内に入る) 
  • 全景(2層式の建物は近年建てられた納骨堂と思われる)
    全景(2層式の建物は近年建てられた納骨堂と思われる) 
  • 門前の山家川(前方は冷水峠)
    門前の山家川(前方は冷水峠) 

孝子「弥四郎」の碑

弥四郎の墓碑に向かって右手には大岩に刻まれた孝子「弥四郎」の碑がある。 その脇に案内板があり。そのまま下に記す。

孝子「弥四郎」の碑

弥四郎は実在の人物で、安永8年1779に朝日の貧しい農家に生まれました。 両親の深い愛情に育まれ、決して親に背くことはありませんでした。

弥四郎は人を敬い、どんな寒い時でも頬かむりをしたことがありません。 老人や村役人に会うと、遠くからでも笠をとって、丁寧にお辞儀をした。 狭い道で人に会うと、道を譲り、落し物を見つけたら、尋ね歩いて届けたといいます。

また、牛馬をいたわり、田畑に行く時は牛の鞍を自分でかつぎ決して(むち)をあてず、人に接するようにその労をねぎらったといいます。

このように、弥四郎の奇特な行状は黒田10代藩主(乾雲公())の耳にも届き、報奨を拝受しました。 また乾雲公は弥四郎のために今様(いまよう)の歌をつくらせました。

「夜須の 朝日の 弥四郎は 親に孝行 つくすなり 牛馬に鞭をあてざれば 受け持ちの田は作りどり」

弥四郎は82歳でこの世を去りましたが、今でも「弥四郎さん」と呼ばれて親しまれ、歌は土地の人に歌いつがれています。

平成16年11月6日 筑前町教育委員会

当薬師堂の500m北側ほど北側をほぼ東西に走る、日田街道沿いには作者が確認しただけでも2つの弥四郎の墓への道標がある。 間方橋恵比寿像の場所である。 また、ここより2kmほど南東に伽藍を構えている福王山 教覚寺の境内には弥四郎の遺髪塚がある。 弥四郎さんは、ご当地ではよほどの有名人だったのだろう。

  • 孝子「弥四郎」の碑(左)と薬師堂
    孝子「弥四郎」の碑(左)と薬師堂 
  • 孝子弥四郎墓
    孝子弥四郎墓 
  • 孝子「弥四郎」の碑
    孝子「弥四郎」の碑 
  • 孝子「弥四郎」の碑(拡大)
    孝子「弥四郎」の碑(拡大) 
  • 孝子弥四郎墓のへの道標 - 県道386号線沿
    孝子弥四郎墓のへの道標 - 県道386号線沿