長谷山
観音堂
[長谷山観音堂・忠王寺跡]
天台宗
☆☆☆
伊藤氏参拝済
歴史
作者は、この観音堂を下の『筑前國続風土記附録』巻之15 夜須郡 下 長谷山村の記事冒頭の 「村の辰巳にあり」という記事をもって観音堂であると考えた。 「辰巳」と言えば東南方向。現在の朝倉市長谷山が当時の長谷山村と同じ領域であれば、 まさにこの観音堂はその東南にある為。間違っていたらごめんなさい。
○観音堂
村の辰巳にあり。 長谷山忠王寺と號す。 永禄年中(1558-1570)秋月種實、 大和國長谷の観音を勧請し、 初て村の東方の嶺に、安置せられしとなん。 古へ此村ハ、下秋月と號せしを、 此時より長谷山村と改む。 其ころハ山僧も、6坊有りしか、 天正15年(1587)種實秋月を去り、 日向國に赴ける後は、 堂舎も破損しけるか、 慶長(1596-1615)のころ、 村長井上新右衛門といへる者、 新に佛堂を造立して、観音佛を移しぬ。 天和2年(1682)秋月邑君長重公、 田地を寄せ給ひぬ。 今ハしからす。 元禄11年(1698)新右衛門か4代の孫、善蔵といふ者、 叉新に観音佛を製して安置す。 ゆへに今ハ観音佛2體有り。 守僧を實相院といふ。 天臺宗也。
観音堂の名称については作者が仮に「長谷山観音堂」としています。 正式名称が判明し次第変更します。
ひとくちメモ
毘沙門堂は、秋月の町の南側に立つ標高175mの山の南側山裾にひっそりと鎮座している。 秋月の町並みのシンボル「眼鏡橋」から長谷山毘沙門堂を過ぎそこからほぼ徒歩1分程度の所である。
残念ながら、お堂の格子戸は施錠されており内部には入れなかった。 格子戸越しに見ても上の『附録』の記事のように2体の観音像が安置されているかどうかも確認できなかった。 他に、境内には石仏3体が安置されている木造の祠がみられる。
門前はのどかな田園地帯となっており、黄金色をした稲穂がとても綺麗であった。 作者は初秋()に初めて参拝したが、晩秋も紅葉などでまた違う風景が味わえそうである。
伊藤氏メモ苔の付着した20段ほどの古い石段の先にひっそりと佇んでいる。目前には田畑が広がる。 鍵が掛かって堂内には上がれなかったが、奥の格子扉の向こうに黄金色の観音が僅かに見える。 花が綺麗に手向けられていた。風雨順時五穀成就と書かれた古い木看板がある。()
写真
周辺のスポット(4km以内)
周辺の寺院・仏教施設・他のページは当ページの上部の検索の項の「4km以内」のボタンをご利用下さい。