仏旗 医王山 南淋寺(なんりんじ) [南淋密寺] 真言宗大覚寺派(準別格本山)★★★  NANRINJI TEMPLE 九州八十八ヶ所百八霊場第6番札所 九州四十九院薬師霊場会第2番札所 紅葉 裏山の柿畑の紅葉名鐘

  • 本堂
    本堂 
  • 山門
    山門 
  • 薬師堂
    薬師堂 
  • 南淋寺 - 『筑前國続風土記附録』挿絵
    南淋寺 - 『筑前國続風土記附録』挿絵 
住所・電話
〒838-1302 福岡県朝倉市宮野86 標高:84.9m MAP GMAP 0946-52-0332
周辺の寺院
同地区同宗派検索  4km以内の寺院検索
本尊
薬師如来座像
Link
医王山 南淋寺 - 九州四十九院薬師霊場会

歴史

境内の説明板の内容をほぼそのまま記す。

南淋寺の由来と文化財

由来

延暦23年804比叡山の僧最澄(さいちょう)(伝教大師)は、 仏教興隆のため、僧空海(くうかい)(弘法大師)と共に、留学僧として渡唐された。 途中航海の平穏を祈って、七仏薬師謹刻の大誓願を立てられた。

帰朝後九州に下り、祈願を果たすべく霊木を求め白山(はくさん)(秋月古処山)に至り、 榧の木をもって一刀三礼して七体の薬師仏を彫刻され、その■一番の尊像を本尊として、 大同元年8064月6日、長淵(朝倉町)の地に天台宗医王山(いおうざん)南林寺を建立された。

その後、後継者の関係から曹洞禅宗となって法燈は続いたが、 度重なる洪水のため移転を思いたち、太宰府の長官「少弐頼尚(しょうによりひさ)」の継母、 賀茂御庵宗修禅尼(かものぎょあんやうしゅうぜんに)に寺領の寄付を受け、 現在地に宗太和尚を開山者として禅宗南淋寺を建立した。 時に興国7年13464月8日であった。

慶安4年1648筑前太守黒田忠之公の命により真言宗(大覚寺派)南淋寺となり現在に至っている。

  • 天台宗時代  541年間
  • 曹洞禅宗時代 302年間
  • 真言宗時代  344年間

平成4年現在

文化財

  • 木造薬師如来坐像 重要文化財 大正元年9月3日指定 伝教大師一刀三礼の作
  • 梵鐘 県指定工芸 昭和32年12月12日指定 応永28年1421の銘
  • 日光菩薩・月光菩薩及び十二神将 町指定彫刻 平成2年10月29日指定 1022年の仏師定朝の作
  • 医王山南淋寺縁起一巻 町指定書籍 昭和44年12月3日指定 古利南淋寺の歴史を伝える唯一の文献
  • 雲板 町指定工芸 昭和44年12月12日指定 元禄17年1704塔頭清香庵跡より発掘
  • 石造宝篋印塔 町指定考古資料 昭和44年12月3日指定 賀茂御庵宗修禅尼の遺髪塔 少弐頼尚の供養塔
  • 奥の院 深山幽谷の中に不動明を■■

南淋寺は昔は「南寺」と書いていたようである。「林」の字にさんずいをつけた訳は『筑前國續風土記付録』巻之16巻 宮野村 南林寺の項に下記の記事がある。

古へは南林の文字を書きしか、度々炎上にかかりけれハ、三水(さんずい) を加ふべし、霊告ありしより改しと縁起に見えたり。

参考:筑前國続風土記

ひとくちメモ

南淋寺は朝倉の宮野の里の柿の畑のある山の麓に伽藍を構えている。

このあたりは柿の産地でまわりの山は柿木だらけである。 南淋寺の裏山の頂上から眺める周囲の柿の葉の紅葉は絶景である。

本堂裏手には奥の院があり不動明王像が安置されている。 最盛期は裏山・寺前の集落すべてが南淋寺境内であったようで、まさに古刹である。 季節ごとにお参りしたいお寺の一つである。

本堂裏手には宝物殿らしきものがある。その宝物もいつか拝観してみたいものである。


写真

  • 本堂 - 裏手より撮影
    本堂 - 裏手より撮影 
  • 集落入り口の石碑
    集落入り口の石碑 
  • 全景
    全景 
  • 奥の院の不動明王
    奥の院の不動明王 
  • 石造宝篋印塔 - 本堂向かって左手に安置されている
    石造宝篋印塔 - 本堂向かって左手に安置されている 
  • 石段
    石段 
  • 塔頭徳満寺跡 - 南淋寺本堂から少し降った所にある。
    塔頭徳満寺跡 - 南淋寺本堂から少し降った所にある。 
  • 境内風景
    境内風景 
  • 境内風景(写真中央が山門)
    境内風景(写真中央が山門) 
  • 境内風景
    境内風景 
  • 境内風景 - 福禄寿
    境内風景 - 福禄寿 
  • 境内風景
    境内風景 
  • 境内風景 - 妙に人間的なお顔
    境内風景 - 妙に人間的なお顔 
  • 境内風景
    境内風景 
  • 境内風景 - 駐車場から撮影
    境内風景 - 駐車場から撮影 
  • 繁栄時の伽藍配置図(境内の案内板)
    繁栄時の伽藍配置図(境内の案内板) 
  • 裏山の柿の木の紅葉
    裏山の柿の木の紅葉 
  • 裏山山頂付近(赤色はすべて柿の紅葉)
    裏山山頂付近(赤色はすべて柿の紅葉) 


『筑前國続風土記』巻之9 風土記 11 南林寺 (真言宗)

段落、話ことばの「」、ルビは作者が適宜付加しました。

育王(いわう)山と號す。 薬師佛を本尊とす。 宮野牟田の奥山谷の口に民家あり。 ()坂といふ。 南林寺は則其奥にあり。 始は大寺なりしと見え、八坂の入口に門あり。 是むかしの寺の外門也。 此門内に今は民家あり。 其門内の左右に僧坊の址多し。 今に庵の名残れり。 門を入て二町ばかりゆき、叉轉じてゆく道に橋あり。 その先に石階あり。 是をのぼれば薬師堂にいたる。 此寺佳境也。

薬師堂の上に山王権現の社あり。 是はいまだ薬師堂建立なかりし時より、鎮座したまへりしとかや。 薬師堂のある所も此社の境内也。 此社のあるによりて、寺をも立てるけるらん。 然に今は薬師ある事を知て、山王ある事をしらず。 凡かやうの事所々に多し。

本尊の薬師は傳教大師の作にして秘仏也。 縁起にし侍るは、傳教大師入唐せんとて、博多より船を出せしが、 難風にあひ危かりしかば、心中に祈願して云、もし(つつが)なく 帰朝せば、七佛薬師を作、供養し安置すべしと誓う。 然るに風波穏に成て、恙なく入唐す。帰朝の後、朝廷に御暇申、 宿願をとげんがため筑紫に下り、薬師を作らんとて博多に下向し、 用木を尋ねしに、所の者云けるは、此地に良材なし。 白山(古処山の事也)にこそ能木あるべけれと云しかば、 さらば白山に行んとて、(より)井川を渡り、手水をつかひけるに、 此水他の水に替り美味なり。 それより其水を甘水(あまみず)と號す。 川に付て山に上りけるに、白山谷わたりに、大木一本臥てありけるが、 其所を今も薬師谷といふ。 木のふし口より金色(こんじき)の水流れ出けるを見て、 是こそと思ひ、其木を七きだにきり、一の口を斧初にす。 白山の岩屋にて一斧三禮して佛を作り終れり。 然るにこの佛を失いて、上座の長淵にいたる。 傳教夢の告に任せ、 長淵に尋ね行れけるに、林中に彼の佛あり。 其所に寺を立て安置す。 弘仁元年8104月8日開山せり。 夢に薬師佛告て曰、我は南の林に在と。 此故に其寺を南林寺と號す。

傳教の開ける寺なれば、天台宗なるべし。 後に此寺の住持に、仁能阿闍梨(にんのうあじゃり)と云僧あり。 慈本阿闍梨に寺を相続せんとす。 慈本出家を嫌ひ落堕(らくだ)す。 仁能跡のたえん事なげきける。 仁能が弟の禪僧、立翁宗本座主、元朝に至り、7年居たりしが、 仁能が両眼より血をの泪を流すと夢に見けるが、 さては何事ぞあらんとて帰朝し、長淵に着、仁能に対面す。 一寺の僧徒及近所の民共集りて云けるは、慈本は己に堕落す。 寺の絶ん事恨多し。 たまたま舎弟の本首座、能時節帰朝せり。 此人に寺をゆづるべしとすすめければ、仁能今迄天台宗なりし寺を禪宗に改ん事。 本意にあらずとて肯はず。 然れども諸人しゐてすすめければ、 仁能宗旨の改る事は恨也といへども、寺の廃せん事残念なり。 さらば寺を本座主にゆづらんとて同心し、宗本に渡しぬ。 其後本主座宰府の少弐に告て日、長淵は千年川の辺にて水災多し。 山辺然るべき所を給はり、寺を改め作らん事を望ける。 小弐許しければ、本主座則今の八坂を見立、南林寺を引て佛殿を造終る。 貞和2年4月8日の事なり。 中興開山立翁宗本より曹洞宗と成る。(以上縁起の説なり)

先國主忠之公のとき、命有て真言宗と成る。

八坂薬師の縁起に白、武蔵寺に藤監代(ふじかんだい)と云長者あり。 老て子なし。 此佛に祈りけるに、其妻頓て懐胎して子をうむ。 夏のあつき時、庭上に畳をしき、すずませけるに、 (わし)忽下りて此子をつかみ、上座部長淵村の薬師の側なる大木の上に、 巣をかけたる所にもて行、其子にあたへんとしけるが、取落しけるを、 そのほとりの老翁見付ていだき帰り、 本よる老に到る迄子なかりければ、則夫婦ともに薬師の恵也とて、悦て是をそだてり。 その子美なる事玉の如し。 年幼き時、近所の農民の子と友なはんとすれ共、かたへなるわらべ共、 何時は鷲の子也、人の子にあらずとて、交るものなかりしかば、 彼子是をほいなく思ひ、十三の時實の父母を求んために、長淵の薬師に、 百日が間丑の時に参詣す。 終りの夢に、汝が父は御笠郡の武蔵にすめる藤監代(ふじかんだい)と云者也。 往て尋るべしと夢にみる。 其の告に任せて、養父母に暇乞て、行て藤監代に申す。 藤監代此子鷹にとられ、死して後13年に当れりとて、十三年忌を執行ひける折節なるに、 彼子行ける。 長者を信ぜず。 其時彼子鷹につかまれし時、着たりしうぶ衣を、養父證拠の為にあたへしをいだしければ、 彼乳母をよびて見せけるに、うたがひもなく我が裁縫(さいほう)したる衣也と云ければ、さてはまことに我子なりとて大に悦び合ひ、いつくしみける。 頓て長淵の薬師堂を改て建立しける。 長渕の南林寺を今の地にうつせし事は前に記せり。