歴史
境内の案内板の内容をそのまま記す。
曹洞宗 保寧山 瑠璃光寺
瑠璃光寺は、陶 弘房の菩提寺で、本尊は陶 弘房念持佛の薬師如来である。 陶氏は大内家筆頭家老で、代々周防国の守護代をつとめた名門の家柄である。 この寺は文明2年(1471)山口市の奥地仁保の地に創建されたものです。 当寺は中国三山の一つと言われ、長門の大寧寺、周防の龍文寺と共に江戸末期迄、西日本の僧録司(禅宗の統括、人事)の責務を果たした名古刹で修行僧も沢山いた。
また代々名僧を輩出し、九州佐賀藩主の菩提寺高伝寺を初めとして県内外に30余ヶ寺の末寺を有していた。
この地には大内義弘の菩提寺香積寺があったが解体されて、萩に移ったため、その跡地に元禄3年(1690)瑠璃光寺が移り今日に至り、日本一古い正法眼蔵や各種の寺宝を残している。
本堂の前には大きな「杓子」「擂木」があるが、これは「我が身を摩り減らし、人を救う」という佛心を象徴するものである。 また出雲の一畑薬師(目の佛様)山口分院、四国の金比羅様(道中安全)と我が身を切ってその人の身代わりとなられる身切地蔵様等がある。
ひとくちメモ
作者は単身赴任で島根県益田市から自宅の福岡市に一時帰宅する時に寺の東の国道9号線をよく通る。 沿線にこの寺の道標があり前々からお参りしたいと思っていた。 このたび念願がかないお参りできた。 境内には五重塔をはじめ薬師堂・経塚・毛利家の墓所・うぐいす張りの石畳などなど盛りだくさんのものが見られる。 また、至る所によく手入れされた赤松の木が植えられている。
参道口には地元のボランティアの方々がおられ、無償にて案内をしてくださるようである。 初回参拝の作者はそれを利用しなかったが、次回はボランティアの解説を聴きながら参拝することとしよう。 寺の西隣には洞春寺がある。
[蛇足]寺の西側に「うぐいす張りの石畳」というものがある。作者はそこを歩くと何か音がするものと思い歩いてみたが、何も音がしない。物好きの作者は何とか音を聴きたくてさらに、その上で足踏みをしていたら、地元の方から声をかけられた。 「石畳の上に印がある所に立って手を叩いてみて下さい。」 そのとおりにやってみると、手を叩く音が正面の石段から跳ね返って聴こえてくるではないか!! 石畳に仕掛けがしてあるのではなく、正面の石段が音を跳ね返していただけであった。でもなかなか良い音ではあった。