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瑞雲萬歳山()大寧寺(たいねいじ)[大寧護国禅寺]★★☆曹洞宗

歴史

上のホームページによれば、応永17年(1410)大内家の支族鷲頭(わしのうず)弘忠公が、石屋真梁(せきおくしんりょう)禅師を開山として迎え開創した。 大内義隆終焉の地(天文20年(1551)、陶隆房謀反による)。 本堂裏手にはその墓所がある。

案内板によると、本堂軒下に掛けられている梵鐘は応永3年(1396)に福岡県遠賀郡芦屋の長福寺の鐘として同所の鋳物師によって鋳造されたものという。 同遠賀郡岡垣町の龍昌寺はこの寺の末寺であった。

ひとくちメモ

みどころ盛りだくさんの寺である。境内は木々に包まれ、春夏秋冬自然が満喫できる場所である。 見逃したポイントもあるが境内の各ポイントを下に列挙する。(クリックするとその写真を見ることが出来ます。) それぞれのポイントの場所は上のホームページの境内案内図を参照の事。

大内義隆と家臣団の墓所

墓所は本堂裏手の石畳の坂道を登った所にある。 2区画の墓所があり、向って右手に大内義隆・義尊親子とその配下の武将のもの、左手は公家と思しき人々のもののようである。 義隆と共にこの地まで逃げてきた人達であろう。合掌。

萩藩重臣の墓石群

十六羅漢と釈迦三尊像

盤石橋

案内板によれば、寛文8年(1668)に建架され、宝暦14(1764)に再建架されたという。 橋長14.2m。参拝した時は橋は工事の関係か通行禁止になっていた。

昔はこの橋が参道口であったようである。 この橋を渡り、山門跡をとおり本堂へは一直線の配置になっている。

「姿見の池」と「かぶと掛けの岩」

案内板によれば、大内義隆が陶晴賢の反乱によって山口を追われこの地に来て、境内に入る前に乱れた髪を整えようと岩に兜を掛け、 側の池に顔を映そうとすると、水面に自分の姿が映らず、運命を悟り本堂に入り自刃したという。

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