建長3年(1251)不山による開基。 はじめは庵瑞林といい、海晏寺境内にあって臨済宗であった。
慶長元年(1596)海晏寺5世分外祖耕大和尚を開山とし曹洞宗に改められ、寛文元年(1661)海雲寺に改称。 本尊十一面観世音菩薩(ご尊像は建長3年創立当時、仏師春日の作といわれている)。 鎮守として千躰三宝大荒神王を祀る。
島原の乱(1637-1638)に鍋島直澄(肥前蓮池藩の初代藩主)が出陣の折、肥後国天草郡荒神ヶ原の千躰荒神像に必勝祈願をしたところ、千余の神兵に助太刀され大きな武勲を得た。 以後鍋島家ではこの尊像を東都高輪二本榎木の屋敷に遷座させていた。 明和7年(1770)3月因縁あってに当寺に勧請されたもの。 竈の神様、台所の守護神として多くの人々から信仰されてきたという。(Wikipedia・ホームページより)
寺内に十一面観音像(建長3年(1251)の創建当時からあり、春日仏師作とされる)・千躰荒神像・千躰荒神堂奉納扁額(文久元年(1861))など所蔵。
千躰荒神堂内は線香のススで黒光りしている。ものすごくご利益がありそうである。 十一面観音像(建長3年(1251))・千躰荒神像は祭壇奥に安置されているようで、直接拝む事はできなかった。 残念。 境内には烏枢沙摩明王堂もあり、御堂内に烏枢沙摩明王の尊像が安置されている。 普段は文字で「烏枢沙摩明王」と書かれた御札はたまに見るが、仏像の形で安置されているのはなかなか珍しい。一般には火神・厠の神として信仰される。