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三縁山広度院() 増上寺(ぞうじょうじ) [浄土宗大本山] 浄土宗

歴史

9世紀、空海の弟子・宗叡が武蔵国貝塚(今の千代田区麹町・紀尾井町あたり)に建立した光明寺が増上寺の前身だという。 明徳4年1393、浄土宗第8祖酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)の時、真言宗から浄土宗に改宗し、寺号も増上寺と改めた。この聖聡が実質上の開基である。

慶長3年1598、江戸城の拡張にともない家康により現在地に移された。 7世紀中頃は、広大な寺有地に120以上の堂宇、100軒を越える学寮が甍ぶきの屋根を並べる、とても大きな寺であったという。

ひとくちメモ

広大な境内である。 慶安年間1648-1652に建立された黒門は歴史を感じさせるものとなっている。 本堂は大殿の2階にあり、大殿1階は自由に出入りできる。阿弥陀如来像も拝む事ができる。

門前より都道409号線を100mほど南下すると、「旧台徳院霊廟惣門」がある。当寺とは無関係のようであるが、 本ページの最下部に記事を記す。

旧台徳院霊廟惣門(仁王門)

風格をのある仁王門である。案内板の内容を下に記す。

港区指定有形文化財 彫刻木造仁王像2躯

重要文化財「旧台徳院霊廟惣門」の左右に安置している寄木造り、砥粉地(とのこじ)彩色の仁王像で、方形の台座に乗った岩坐(いわくら)の上に立っています。

平成16年から17年に行われた修理の際に、胎内から修理銘札が発見され、 元は埼玉県北足立郡戸塚村(現在の川口市西立野)の西福寺(真言宗)仁王門に安置されていたもので、 寛政元年1789、弘化3年1847の二度にわたり修理が行われていることがわかりました。 さらに安政2年1855の暴風で破損したまま同寺の観音堂の片隅に置かれていたものを、 昭和23年1948、同寺三重塔の修理と同時期に3度目の修理が行われた後で、東京浅草寺に移されたことも記載されています。 その後の経緯は(つまび)らかではありませんが、昭和33年ごろまではこの惣門に安置されたと考えられます。

本像は18世紀前半までには江戸の仏師によって制作されたと推測され、江戸時代の仁王像として破綻のない作行き(さくゆき)を示す貴重な作品です。

像高
阿形:243.5cm 吽形:247.0cm

平成18年10月24日 港区教育委員会


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