お寺めぐりの友

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() 大喜庵(たいきあん) [大㐂庵] 不詳

歴史6 phrases

本堂に掲げられた案内板の内容を下に記す。

大喜庵(東光寺)の由来

大喜庵は元禄3年1690都茂(つも)[1]の僧、大喜松祝(しょうしゅう)が建立した庵です。 その前身は白水山東光寺(一名山寺)、後に妙喜山(みょうきざん)とよばれたこの地方きっての大伽藍でした。 鎌倉の中期、益田氏の一族、多根兼政(たねかねまさ)が菩提寺として建立、室町期には南宗士綱が再興し、以来、石窓禅師・勝剛長柔(しょうごうちょうじゅう)竹心周鼎(ちくしんしゅうてい)が入山しました。 文明年間に山口の雲谷庵より来住した雪舟等楊(とうよう)禅師は、附近の風景が中国の名勝瀟湘(しょうそう)洞庭(どうてい)の雰囲気によく似ていることからこの地を殊に愛し、「山寺図」をスケッチし、また「益田兼尭(かねたか)寿像図」「四季鳥図屏風」を描くかたわら、医光寺万福寺に心の庭を築きました。

雪舟は東光寺に生活の場を求めたのは文亀2年1502、二度目の益田訪問の時です。 まさにあこがれの舞台でしたので、日夜禅の道に精進しながら画業にも専念していましたが、永正3年1506[2]、87歳遂にこの地で永眠しました。

東光寺はその後天正年間に全焼し、仁保成隆(にほなりたか)が再建した小庵も益田氏の須佐転封で廃退するばかりでした。 前述した大喜松祝の力によって、雪舟禅師の香りを現今にとどめることができました。

裏山には雪舟禅師や大喜松祝上座の墓があり、堂内にはただ一つ焼失をまぬがれた東光寺ご本尊観世音菩薩立像があります。

昭和59年9月 雪舟顕彰会

ひとくちメモ1 phrases

大喜庵のある場所は小高い丘の北側中腹である。 境内には、雪舟廟・雪舟が絵筆や茶の湯として愛用したという雪舟硯水霊厳泉などがある。 雪舟廟正面に向って右手には、多根兼政の墓所へ登る石段があるが、草木が茂っておりヘビ嫌いな作者は登ることを断念。