『美都町史』によれば、 開基の元秀は元藤原貞常と言って永禄年中1558-1569発心出家して一宇を上波多に建立。 明治42年6月、現在の地(荘厳寺[1]の跡地)を買い受けて移転。 今日に至るという。
寺は山の中腹にある。 長い石段を登って境内に入る。 コンパクトな境内には本堂の他鐘楼がある。 山門からはのどかな田園風景を眺めることができる。
石段の脇に「三界萬霊塔」が建っている。その脇に設置されている案内板の内容をそのまま記す。この塔が「河童の墓」であろうか?
光明寺の河童の墓
伝説によれば「荘厳寺(現光明寺)の住職が、 飼っていた馬を洗おうとして川に連れて行くとえんこう(河童)が馬の足を引っ張った。 馬は驚き逃げるが石段近くで死に、えんこうも引っ張られて死んだ。 住職はこれを哀れみ墓を立てた。」
伝説ではあるが河童の存在を想像させる史跡である。