お寺めぐりの友

PC版

() 円生寺(えんしょうじ) [未] 不詳

歴史

伊藤氏メモ公民館のような造りの建屋に[円生寺]と記された扁額と、[中通老人クラブ]と記された木看板が掛かっている。建屋の外壁には案内板が取り付けられ、以下のような記載がある。()

中ン館(なかんたち)上小路(かみくうじ)
この付近を中ン館・小路と呼んでいる。
中ン館には、鍋島助衛門茂治(なべしますけえもんしげはる)の長男・織部允(おりべまこと)の館があった。末子の貞恒(さだつね)の墳墓もこの円生寺の境内に祀られている。
小路には、その家臣の屋敷があり、防戦のために道幅は狭く、入りこんで迷路のようになっていた。
茂治は、名君の誉高く20数年にわたり善政を行っていたが、その娘の他国縁組が佐賀本藩の規約に触れ、その責を負って慶長18年1613親子切腹した。
しかし、その子孫は佐賀蓮池藩の家老職を代々務めた。
お天神さん
上小路の諸井家の裏に天神社が祀られており、茂治・貞恒が毎朝礼拝されていたようである。境内には今も大きな(さかき)2本と木斛(もっこく)の木がある。数百年を経た榊は樹径30cm以上、木斛は樹径60cm以上ある。

ひとくちメモ

伊藤氏メモ寺院前には、貞恒の墓と願左衛門重氏(原田願海)の墓が表示板を伴って立っている。6体の地蔵像も寺院前に並んでいる。北東側には、かなり広い墓地域もあり、昔はかなりの寺院としてあったのであろうと思われる。()

Top