『佐賀県の歴史散歩』によれば、 慶長19年1614、鍋島茂教(上吉田地区一体の邑主であった)の開基とされ、 以後鍋島茂教一族の菩提寺として今日に至っている。 不動堂には国重文の木造不動明王及び二童子がある。いずれもカヤの一本造で平安後期の作という。 これらの仏像は廃寺となった旧両岩村 永洗寺(真言宗)から移されたものという。
伊藤氏メモ現第20世。住職が文殊という姓を名乗っているのも味がある。
木造不動明王像・二童子像は本堂前にある不動堂にしっかりと施錠保管されている。ただし、住職お手すきの際は申し出に応じて解錠の上、拝仏させていただけるとのことである。
新しい堂の中央には紅蓮の炎を背にした不動明王が坐しており、脇侍として右側に矜羯羅童子の立像、左側に制多迦童子の立像を従えている。
道路沿いにある古い石柱山門から、石段を経ての山門・境内域まではかなりの距離がある。石柱山門を通過してすぐの右手には六地蔵塔が立っている。()