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宝林山(ほうりんざん)妙善寺(みょうぜんじ)浄土真宗本願寺派  FACEBOOK  TWITTER

歴史

伊藤氏メモ伝承では、菅原道真が大宰府へ左遷された際に従ってきた人々の一人に三角左近将監時遠という人物がおり、彼が晩年隠居した地が現在の鳥栖市元町であった。時遠には子がなかったため道真に請い、道真の第五子である長寿麿を養子として迎えたと伝えられている。

長寿麿は、追慕の情に勝てず父道真の後を追って宗臣時遠とともに密かに下向し、藤原時平の厳しい監視の目を逃れ、瓜生野(現:鳥栖)の地に隠栖したもので、元服して良景と号したという。 後、姿を仏門に改め、父道真の菩提を弔った。

系図によれば、良景の後、6代の息女は東照寺開基・8代の息男は天台良忍の門弟や本伝寺住職に・10代の息男は天台の門に・12代の息男は奈良法相宗興福寺に・18代19代出家など仏門の跡が散見される。

20代禅心法師に至り、嘉吉3年(1443)あるいは、享徳元年(1452)に浄土真宗に改宗し、妙善寺開基となる。以来、現住職も菅原姓であり、妙善寺住職としては18世を数え、良景からは37代目にあたる。

なお、23代元清(1568-1652)の長子順照(生没年不明)は妙覚寺(轟木町)の開基となり、次男玄悦が妙善寺5世を引き継いでいる。(「太宰府市文化遺産調査ボランティア/HP」『宝林山妙善寺』より)()

ひとくちメモ

伊藤氏メモ本堂内には、法然・親鸞・蓮如・お釈迦様・風景など40枚ほどの絵が飾られている。 いずれの絵も、金沢の一流職人が来て作成したという黒塗りの漆の額縁に納められている。 襖絵や本堂屋根頭頂部には京都北野天満宮と当寺だけという六つ梅の紋(他所は五つ梅)が用いられている。また、本堂前には、大きな石で造られた良景の墓がある。()

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