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太田山() 安生寺(あんしょうじ) [太田の観音さん] 天台宗

歴史5 phrases

伊藤氏メモ「太田の観音さん」の愛称で慕われ、子授り寺として1000年以上の歴史ある古刹である。当寺は、檀家を持たないいわゆる祈祷寺である。

安生寺は、養老元年717行基の開基で、本尊聖観世音菩薩も同僧の一刀三礼の御作になる。 その後、奈良時代、基肄郡(きいごおり)に住む八波(やつなみ)という長者が娘の供養のために観音堂を建てた。 その観音堂は、子無き者には子を授け・乳乏しい者あらば乳を与え、霊験あらたかと言われるようになった。

天保13年1842素珖(そこう)禅尼御堂再建。 大正3年1914素道(そどう)素真(そしん)の両名が再建発願。 大正8年1919有志の協賛により本堂再建。 平成20年2008、中原順導(尼僧としては21代目)を住職に迎えた。(「安生寺HP」などより)

※八波という長者が観音堂を建てた経緯については、子授け観音|筑紫次郎の伝説紀行第60話を参照ください。()

この寺で毎年催される「賀島祭」(毎年4月9日)は江戸期の善政の副代官、賀島兵介(かしまひょうすけ)1645-1697の遺徳をたたえるものであるという。 兵介は対馬藩(当時は「対州」と云った)所属。 江戸期にはこの地域が対馬藩の飛び地領であった事が確認できる。

ひとくちメモ5 phrases

伊藤氏メモ本堂内には、本尊聖観世音菩薩像と、左右にはカラフルな色彩を用いた多聞天・持国天が祀られ、天井には丸い形に描かれたカラフルな天井絵が80枚ほど並んでいる。

また薬師堂では、薬師如来像の左右を金色に輝く30体ほどの小仏たちが囲んでいる。毎月17日は観音様の縁日となっている。()

長崎街道田代宿踏査中に偶然宿場内で道標(「太田山観世音道 是より北へ八丁」銘)を発見。 この先8丁(=900m弱)に観音堂があるのではと、好奇心が湧いて道標の指す先に向かう。 安生寺の門前にたどり着く。 これが、まさかお目当ての観音堂とは思ってはいなかったが、急遽の参拝。

本堂前で念仏して鰐口を鳴らすと、女性が現われた。この方が当寺の住職であった。 寺の門前にたどり着いた経緯をお話すると、この寺がお目当ての「観音堂」との事。 本堂へ上げて頂き、厨子に納められた観音様に参拝(扉は閉められていた=秘仏のため)。お前立ちの位置に綺麗なお姿の聖観音像が立っておられる。その後、お寺の歴史を伺いながら薬師堂にも案内していただいた。

普段お寺に参拝する時は多少下調べはするのだがこの時はぶっつけ本番。非常に丁寧なご対応。感謝感謝。いろいろなお話を伺ったが、メモするタイミングも無く、自宅でメモをとった(漏れがあるかもしれません)。 以下に伺った内容と、その後に調べた内容を箇条書きする。 またお参りしたいお寺のひとつである。

□現住職入寺前のお寺の状態
境内は無住で安置されていた仏像・建物はかなり傷んでいた。 現住職の代に入り、仏像・建物を修復。かなり苦労されたようだ。(以上住職談)。 無住の期間は基山の大興善寺が兼務。祈願の日だけ出張して来られていたという(netより)。
□明治時代の住職の苦労
明治時代の住職(素珖さん・素道さん・素真さんかは伺っていない)は田代の町中から当寺への道を整備するのに大変苦労した。現在もその道は住民たちに使われている(以上住職談)。
□本尊の御開帳
12年に1度だけ、寅年に御開帳(netより)
□子持ち石
本堂のご本尊様の下にある石。夫婦が座りおしりとおしりを合わせて祈る座石。 子授けに大変ご利益がありそうだ(ホームページより)。
□天井画
本堂・薬師堂の天井はびっしりと多数の天井画で飾られていた(1枚20-30cm四方か?)。 見事なものだ。
□古墳
当寺境内の西側一帯は岡寺前方後円墳跡。