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川上山(かわかみざん) 善福寺(ぜんぷくじ) [善福禅寺] 曹洞宗

歴史

門前の県道331号線は旧唐津街道である。 薬師堂は武雄新四国霊場第59番札所となっている。 本堂前の案内板の内容を下に記す。西暦年号、ふりがなは作者が追加しました。

窓野御前の菩提寺川上山善福禅寺の由来

善福寺の本尊は薬師瑠璃光如来にして肥前国長島庄河上山禅福寺の記録があるものの創作者は不詳である。 長島庄は後白河法皇1129-1158の勅願によって建てられた蓮華院(武雄市)の庄園であるところから如来像の創作は法皇の時代と考えられるので養和1181-1181建久1190-1198の頃約800年前に開基されたことになるが年代はさだかではない。

寺歴によれば鬼子嶽(きしたけ)城主波多(はた)下野守(しげし)の妻室窓野御前の菩提を弔う為、波多下野守鎮が開基となり武雄市蓬萊山廣福護国禅寺の末寺として一宇を建立した。 しかし文禄の初めの頃、当寺及び地蔵院を併せて廃寺としているが理由は不明である。 以降武雄町普門山圓應禅寺6世一叟勝鈍大和尚当寺を再興して入山し圓應寺の末寺となる。 勝鈍大和尚東川登町浄泰院に開山として入山されたので圓應寺7世朝翁珠噋大和尚当寺上世として入山7世延厳祝和尚まで僧住の寺として続いた。 爾来星霜を圣て約数百年平僧地となり無住の時代が続き荒廃して存立するのみとなっていたが明治14年月穿潬底老和尚本師(西多久村)圓通寺25世雲外龍如大和尚を開山として法地開闢となりようやく現在に至っている。

窓野御前は肥前国波多郡鬼子嶽城主第17代波多下野守鎮の妻室である。 先代(さこう)は松浦一帯を覇した権力者であったが世継ぎに恵まれず、弘安3年1280島原城主の三男藤堂丸を養子にして第17代城主として鎮を襲名させたが、これをよしとしない一族の不満から、永禄7年1564末の祝宴の折り反嚙が起り応戦の暇もなく鎮は玉島郡に逃れ窓野御前は家臣下平北川等侍女6人に守られ河上の地に落ちのびたものの妊婦の身に難行の衰弱激しく静養の甲斐なく永禄8年15658月23日に此の地に没せられた。 家臣郷人哀惜して亡骸を小高い丘に葬り祠堂を建て篤く菩提を弔い冥福を祈った。 現在も命日には祇園蔡を催して当時を偲んでいる。

窓野御前の信仰の中心は子授け安産と子育てで特に霊験を現し世人の崇拝いよいよ厚く、今日婦人の祈願する人が多い。

平成4年10月吉日
曹洞禅寺 川上山
善福寺5世 傅相智学
佐世保市早岐 下平敦雄志記

ひとくちメモ

境内には、薬師堂・水子地蔵堂がある。 水子地蔵堂内には多数の地蔵菩薩像が安置されている。 本堂前の石庭もなかなかのものである。 薬師堂前のハナズオウは満開でした。

伊藤氏メモ現第6世とうかがった。おそらく、本堂前の案内板にある[明治14年1881月穿潬底老和尚本師が圓通寺25世雲外龍如大和尚を開山として法地開闢した]ときから数えての中興第6世と思われる。道路沿いの参道入口付近には、[善福寺入口バス停]がある。 (2019-12-28)

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