お寺めぐりの友

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寶樹山(ほうじゅさん) 徳善院(とくぜんいん) 真言宗御室派

歴史

伊藤氏メモ応永年間1394-1428に肥前佐賀藩藩祖・鍋島直茂の祖父清久の祖父・長岡経直が開基。開山は幸純。 元は玉泉坊円城寺といった。清久は英彦山権現の分霊を勧請し、本庄にあった館の大門をここに移したと伝えられる。 現第37世。

佐賀藩2代藩主鍋島光茂は当院に楼門・鐘楼を寄進するなど鍋島家の保護が厚かった。

山門前には古い鳥居が立ち、一見すると神社と思い違うかもしれない。しかし、その鳥居額には、宝樹山の山号が刻まれている。また、境内は堀に囲まれ城域を思わせる。

近くに本庄江川が流れるかつて船の出入りがあった地で、文政10年1827に建てられた石の燈籠式灯台(御神燈)が岸辺に残り、往時を偲ばせている。(『佐賀百寺巡拝』より)()

かつては門前の水田には宿坊が並んでいた(Links① より)。 さらに、その先の今津の渡し場の対岸には鳥居があり、そこが参道口であったようだ(地元の古老談)。

鳥居には「大願主 鍋島山城刺史藤原直通 慶安ニ己丑1649■■鐘十五月 」銘がある。 ここで願主は鍋島直弘[1]1618-1661、初代佐賀藩主勝茂の8男である。

ひとくちメモ

伊藤氏メモ本堂は、老朽化による解体・新築建替えの最中で、新本堂の基礎部の工事施工が進んでいた。 歴史欄に記載の「石の燈籠式灯台」は、寺院東側の川沿いの道をやや北側に行った所に立っており、すぐ分かる。 碑には、「文政10年1872に願主徳善院海信一により建立」の旨が刻字されている。(2017-12-09)

慶安2年銘の鳥居をくぐると、両サイドには八十八ヶ所を模した石仏群がずらっと並んでいる。 壮観である。その先の山門をくぐると正面が本堂。 本堂・山門などは近年改装されたようで真新しい。 境内にも石塔石仏が多くみられる。 下山するおり、山門の手前を通ると、本堂脇で境内の手入れをされていた坊守さんと思しき方が、「上を見てください」と声をかけられる。「???」。上を見れば、山門の天井に龍の彫り物があるではないか。参拝時にはお見逃し無く。

寺の北隣には鎮守八幡宮が鎮座している。

上で伊藤氏が書いておられる「石の燈籠式灯台」は見逃してしまった。残念無念。

鎮守八幡宮

当社は徳善院の北隣りに鎮座している。当社と徳善院は宗教的には無関係のようだ。 一の鳥居は200mほど南側にあり、往時の社域の広さを偲ばせている。ニの鳥居は肥前型鳥居である。

社殿前の一対の狛犬は必見。今でも飛び出してきそうな息遣いを感じさせる造りとなっている。 地元の古老の話によれば、近年までは苔に覆われており、狛犬の細かい造りはわからなかったが、当社出入りの業者が何かのお礼に狛犬を洗浄したら現在の姿が現れたという。

境内の案内板の内容を下に記す。

八幡宮

八幡大菩薩を神体とし応神天皇、仲哀天皇、神功皇后を祭神として祀っている。 弓矢の神として信仰厚く、安元元年1175地頭の徳善太郎平益伸が鶴岡八幡宮の分霊を勧請し、建久6年1195祭殿を建立。 のちに鍋島平衛門清久(藩祖直茂の祖父)の保護を受けた。藩祖直茂の代に祭祀を興し寛永2年1625社殿が新しく造営された。明治6年1873村社に指定された。

祭典は、1月1日の元旦祭、1月2日の家内安全祈願祭、3月11日の春祭り、4月24日の慰霊祭、8月1の夏祭、10月第2土・日曜日の例大祭(おくんち)、12月11日の新嘗祭である。

鳥居は肥前型鳥居。束額に「肥前■世荘 鎮守八幡宮」銘。 社殿前の狛犬は 「慶應元乙丑1865」銘。


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脚注

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