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三陽山(さんようざん) 泰長院(たいちょういん) [泰長禅院] 臨済宗南禅寺派

歴史

伊藤氏メモ天文5年1536龍造寺胤久(りゅうぞうじたねひさ)によって建立された。 龍造寺胤久は、龍造寺宗家・第17代当主である。第15代当主・龍造寺家和の子・胤和が家督を継ぐが、父より先立ったために弟の胤久が宗家を継ぐ事になった。 天文8年1539、胤久が亡くなると菩提寺としてここ泰長院に葬られた。

当院3代住職の是琢は、鍋島直茂に従って朝鮮の役に従軍し、武運の祈祷や朝鮮との文書による通訳の事務を担当した。現在、龍造寺隆信や鍋島直茂・勝茂らの書状、文禄・慶長の役における朝鮮側諸将から鍋島直茂への書状など県重要文化財12巻105通の文書が残っている。 この他、朝鮮の役、在陣中の是琢の日記も貴重な資料として残っている。また、反射炉の築造で有名な杉谷雍助(すぎたにようすけ)の墓もある。(『日新校区史跡ガイドマップ』などより)()

伊藤氏メモ開山は三英和尚で、天文5年1536龍造寺胤久の祈願所として城内西の丸にあったが、佐嘉城建築の際、現在地に移転されたという。

山門の右手にはアーチ門を持つ百崎俊雄の墓所がある。百崎俊雄は、ここ精町の地主であるとともに、大正6年1917に誕生したビオフェルミンの会社を企業した(初代社長)。()

町名「精町」は「しらげまち」と読む。

ひとくちメモ

どっしりとした構えの山門をくぐると、目の前にソテツの大株がある。これは3代住職 是琢が朝鮮出兵をした時の記念なのかもしれない。 本堂は間口7間。当地区では大きな規模のものである。 境内の木々の植え込みもよく管理されている。

百崎俊雄の墓所は山門をくぐってすぐ右手にある。 参道口脇には「しらげ幼稚園」がある。寺に併設されているようである。 門前には山口亮一旧宅がある。

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